ボローニャ復元映画祭2020 DAY 2
ボローニャ復元映画祭、オンライン参加2日目のメモです。
PAOLO E VITTORIO TAVIANI: GOOD MORNING CINEMA
昨日の『イントレランス』セットに関するドキュメンタリーとの続きということなのでしょうか、『グッドモーニング・バビロン!』を作った時のタヴィアーニ兄弟のインタビュー(20分)。撮ったのは評論家にして、こういうイタリア映画関係のメイキングとかドキュメンタリーを撮っているギデオン・バックマン。フェリーニに嫌われたりしてたみたいですが笑。ここでも「映画も歴史が出来て、映画についての映画が増えましたよね」なんて問いかけて「映画についての映画なんか作ってない。あくまでも人生についての映画だ。人は人生を生きなければ」とたしなめられてました。
暗殺のオペラ(1970)
今回一番気になってたのがコレでして。というのも長らく権利問題でDVDにもなっていなかったこのベルトルッチのTV用に作った映画、2年前にやっとこさクリアになり、しかも素晴らしい2K修復マスターが出来たというので、自分の勤めている会社からブルーレイをリリース、今はアマゾンプライムのチャンネル<シネフィルWOWOWプラス>ほか、各種配信プラットフォームでもご覧いただくことができるようになってます。
ところが、そのブルーレイを出してしばらくして、なんだかイタリアで別の4Kマスターを作っているらしい、という噂が聞こえてきて、「それは一体どういうことなんだ???」と(もともと権利がもめてた作品だから、もめてた双方がそれぞれ自分の仕切りで修復した、ということなのかもしれません)。それで、きょうやっと、その作り直したマスターの映像をこの映画祭で確認することが出来ました。先に言っておきますが、全体的なことを言うと、うちが作ったブルーレイやDVD、配信で見られる『暗殺のオペラ』の方がいいです。これ、宣伝でも手前ミソでもなくて、日本人100人に見せたらまず98人はそう言ってくれると思います。
何が気に入らないかというと、色がアンバーすぎる。褐色がかっているというのですかね。全体にそうなのです。そして少しアンダー(暗い)。濁りがある感じです。真昼のシーンでも、なんだか夕方みたいに見える。この新しい修復版は、まさにこの映画祭を主催している映画保存機関チネテカ・ディ・ボローニャの兄弟施設リマジネ・リトロヴァータというラボで行われているのですが(2000年代に撮影監督ヴィットリオ・ストラーロ監修で焼いたプリントも参考にしたとクレジットに出ます)、ここ、映画修復のメッカでして、世界の頂点と言っていいところ。今、ブランチがパリと香港にもある(映画のオリジナル・ネガや上流の素材は事故を避けるために基本的に動かしたくないので、スキャニングは現地でやりたいので、こうやって支局を開設する意味があるわけです。いったん、デジタルデータになってしまえば、そこからの修復などはどこででも出来ますが)。なんですが、過去、ここで修復された作品を日本人である自分が見たときに、今回と同じ「なんか茶色すぎない?」という印象を持つことがままあるんですね(全部の作品がそうではないのでますますややこしいのですが)。だけど、せっかくの光の魔術師ストラーロの陽の光や、夕方のマジックアワーのあの美しいブルー、ハムおやじの家の壁のピンク色が、どうにも濁って見えて仕方ないんですよ。
色の問題についてはいろいろ考えていて、この話、前にもどこかに書いた気がするのですが、米国でやはり古い映画の修復をしたりブルーレイを出したりしている名門会社クライテリオンの技術監督リー・クラインさんと焼き鳥をほおばりながらこんな話をしたこともあるんです(そもそも、このボローニャの映画祭のことを最初に教えてくれたのはリーさんでした。「君なんかが行くと絶対楽しいと思うよ」と。2年前に現地で会えた時は嬉しかった)。「今僕が見ているテーブルの上のこの醤油さしの蓋の赤色と、君が見ている赤色は、果たして同じように見えているんだろうか?」と。彼は僕の言いたいことが分かったようで、ニヤリと笑ってこう言いました。
「こんなジョークがあってね。ロサンゼルスでグレーディング(色を調整する作業をこう呼んでいます。カラー・コレクションとも=「補正」の方の"Correction"ですね)をすると赤くなる。ヨーロッパでやるとグレイッシュになる。そしてニューヨークでやると色がなくなる」
彼と初めて会ったのは、クライテリオンで黒澤の『夢』と伊丹十三の『タンポポ』を出す際、まずフィルムからのスキャニングは日本でやって、そのあとのゴミや傷消し等の修復や基本的な色調整はアメリカ、そしてそれを日本の関係者(撮影に参加していたカメラマンとかです)にチェックしてもらう作業を再び日本で、というその最終工程のために来日していた時でした。その作業に立ち会った人の話では、やはり向こうでやってきた色味、特に人間の顔がやはり相当赤く調整されていて、それを日本人の顔色に見えるように戻す必要があったようです。アメリカ人が無視意識のうちに「人の顔とはこういう色だ」という感じているものが、どうしても作るものに反映されてしまうのでしょう。
思い出せばビデオソフトの誕生した初期、レーザーディスクやVHSにするためのマスターとして送られてきたテープ(当時は1インチ幅のアナログ、オープンリールのテープでした)、やっぱり「ずいぶん赤いな」と思うことが多かったです。アメリカ映画の輸入盤のLDを買ってもそう思ったりしました。
もうひとつ、今度はロシア人の話。この話は通訳の児島宏子さんから、彼がこう言ってたよ、と聞かされたのだったと思いますが、アニメーション作家ユーリー・ノルシュテインが「車の色というものは、それぞれの国の太陽光の下でどのように映えるかを計算されて選ばれているものだ。だから国によってその選択は違う。映画の色の見え方についても、それぞれの国の人に応じた何かがあるのではないか」と言っていると。大意なので、正確な引用ではないかもしれませんが。
どこかにこのことに関する科学的な研究でもあればいいとWEBを探し回ったこともありましたが、うまく見つけられず。僕の仮説はこうです。多分、僕らには褐色に見えるこの映像をボローニャの修復の人たちが見ても、それを褐色とは感じていない。逆にうちでブルーレイにしたマスター(ものすごくキレイな色が出てるんです)を彼らが見ると、妙に明るすぎたり、僕らが想像もしないような色に振れているんじゃないかと。見る人の目の色(文字通りの)も関係があるように思ってます。根拠のない仮説ですけどね。
であれば、ある映画について、どこかの国で、これが決定版の4Kデジタルマスターだ!というものが出来たとしても、それが必ずしも全世界の人にフィットするものではない可能性もある。だけど、それが監督とか撮影監督が認めた唯一のヴァージョンとして定着するとしたら、観る側は「ははあーっ」とありがたく受け取る以外にない……この問題って、映画修復の世界でどのように認識されてるのか、そんな認識はないのか、どなたか知ってたら教えてください。
難しいものです。病気で自分の体がどこか痛くなったとして、その痛みをどれだけ正確に人に伝えようとしても限界があることにも似て。
怒りの葡萄(1940)
今日の締めもヘンリー・フォンダ。ド名作。これ、同じマスターのブルーレイも日本で買えるし(今、1000円ですよ。FOXがディズニーに買収された関係で今後はどうなるか分からないので、FOXの名作は買っておいた方がいいかもしれませんね)、今ここで観る時間あったらほかのを観た方がいいな、と一瞬思ったんです。30年以上前に一回観てるし。だけど、観始めたらやめられませんでしたねえ。こんなに映像が良い映画だったかな、とまずびっくり。多分可燃性のオリジナル・ネガからの修復だと思うんですが、ものすごくシャープで、モノクロの階調も豊か。目の光のハイライトなんか素晴らしいです。そのシャープさで当時のアメリカの風景と、貧困にあえぎながら旅する一家のホラーと言ってもいい恐怖の連続を見事に描いてます。でも暗いだけじゃなくて、時々笑いも入れてくる。こんな苦難の中でも子供たちがずーっと笑って、ふざけてるのがいいですね。黒澤明がいかにジョン・フォードを手本にしているかということも改めて実感しました。プロデューサーのザナックが最後のお母さんの語りを勝手に足したという話ですが、確かにちょっとあそこの説教臭さは減点したくなります。したくなるけど、それでもやっぱりグッとくる映画ですね。そしてまさに、今の時代にもう一回観るべき映画。一部の資本家と搾取される民の構図は何も変わってませんから。
今日はスタジオ・カナルのスタッフによる『勝手にしやがれ』『エレファント・マン』修復の解説セッションもあったんですが、これは会期中まで見られるので後回し。ちらっとだけ生中継時間に覗いたんですが、「修復の作業フローは、結局、作品そのものの性質が決める」というフレーズが出てきて、それは大いに得心しました。すべての映画に通用するやり方なんてないってこと。
それにしても、どんどん作品が増えてくるので焦りますね……明日はアルジェント『四匹の蠅』について撮影監督ルチアーノ・トヴォリのトークがあるぞ。あれ?でも、『四匹の蠅』の撮影監督はフランコ・ディ・ジャコモだ(この人は前述の『暗殺のオペラ』でストラーロと共に撮影した人)。 人の作品を語る、ということか。また明日!
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