「アニメの詩人 ノルシュテイン」
2016年にロシアのアニメーション作家、ユーリー・ノルシュテインの過去の6作品を、自分が勤めている会社の主導でデジタル修復し、劇場公開することになった。日本語字幕についてはノルシュテインの来日時には必ずといっていいほど通訳を務めておられ、それまでの彼の作品の字幕や絵本の翻訳もやられていた児島宏子さんにお願いした。中央線沿線のご自宅に、会社のスタッフ2名とご挨拶に伺ったのは暑い夏の午後のことだったと思う。
それまでに面と向かってお話ししたことはなかったけれども、おかっぱ頭の児島さんの姿は知っていた。ノルシュテインはソ連崩壊後に生活に困窮し、1990年代から彼をサポートするために、その昔「COMIC BOX」という漫画評論誌のようなものを出したり、ラピュタ阿佐ヶ谷という映画館を経営している方が、頻繁に彼を日本に呼び、最近でいうところのマスタークラスのような講義を開いて、その講義料を彼の収入に充てたりということをしていた。僕もそれに一度参加したが(たしかショスタコーヴィチの音楽に関する話だったと思うのだが……)、その時の通訳も児島さんだったし、日本で何かノルシュテインのいるイベントがあれば、その側には必ず彼女の姿があるわけで、ノルさんのファンなら知らない人はいない。
要件は早々に承諾してくださり、自己紹介がてらいろいろな話をしていると、児島さんは「あなたお腹は空いてない?」とこちらを心配してくださる。昼ご飯も済ませてきたし、「いえ、大丈夫です」とお断りするのだが、そのうちテーブルにトマトやロシア製のチーズなどが並ぶ。しばらくすると2階からパートナーの、みやこうせいさんが降りてきて「ルーマニアのお酒、飲まない?」と言う。児島さんはロシア専門だが、写真家であり文筆家でもあるこうせいさんはルーマニア専門で、年に何度もルーマニア、それも未だに文明社会とは一線を画した生活を送っている農村に足繁く通っている。ルーマニアでは彼がその村を撮影した素敵な写真集が2冊(モノクロ編とカラー編)も刊行されており、1998年にはルーマニアの国から文化功労賞も授賞されているエライ人なのである。
もっとも、そんなことを知るのは後のことで、出会って最初の印象は、1分に一度はダジャレを言わなければ気の済まない変なおじさんだった。それに「ルーマニアのお酒」と言いながら手に持っているのは、日本のお茶のペットボトルなのである。最初は何かの冗談かと思ったが、そのペットボトルから小さなグラスに注がれた液体はかなりの度数の蒸留酒だった(これも後から知るのだが、プラムを発酵、蒸留させた「ツイカ」というお酒)。おそらくその村の自家製のお酒をそのペットボトルに注ぎ分けていたのだろう。
お酒が嫌いではないのでありがたく頂戴し、一緒に来ていたお酒を飲まない半ばあきれ顔の2名を先に帰し、杯を重ねる。こうせいさんは僕の出身が山口県だと知ると、民俗学者・宮本常一や、かつていっしょに本を作られたという詩人のまどみちをさんの話をされ、これはただの駄洒落好きの酒飲みではない感がどんどん増してくる。児島さんはお酒はあまり飲まれないが、追加の料理やおつまみを出してくださりながら、談笑の中で詩や文学に関するさまざまなボールを投げ、こうせいさんから返ってくる球をまた打ち返す。一体、このように知的かつ陽気なパートナーシップというものがこの世に存在するのだろうか。既に上がっている血中アルコール濃度に加え、「知」の濃度もグイグイと追加され、何に酔っているのか分からなくなってきた頭に「この人たち、さしずめインテリだな」と寅さんのような言葉が浮かんでくるばかりである。ロシア産のハチミツほか大量のお土産を持たされ、その一軒家を後にする頃には、すっかりお二人のファンになってしまっていた。
その後もノルシュテイン関係の打ち合わせで何度かお邪魔することになるのだが、そのうちに、我が家の障害のある子どものためにもう10年以上来てくれているヘルパーのイシちゃんが、お二人の息子さんと中学生時代に同級生だったということも分かり(だからイシちゃんもその頃、あのお宅に遊びに行ったりしていたわけだ)、まあ、僕は人生においてことのほかそういう偶然が多い人間ではあるのだが、これも何かのご縁と思わずにはいられない。
さて、ここまでが実はイントロである(長い)。その児島さんが、4月の後半に新しいご本を出される。「アニメの詩人 ノルシュテイン」(東洋書店新社)というもので、ノルシュテインの作品やヒストリー、彼の人となりについて、30年近くに及ぶ付き合いのある児島さんならではの視点で書かれたものだ。今から14年前の2006年に東洋書店が出していた<ユーラシア・ブックレット>という小冊子のシリーズの一つとして一度出版されたものがあるのだが、章も増やされ、既存の部分にも細かく加筆された増補改訂版であり、今回はちゃんとした書籍としての発行となる。巻頭に16ページものカラーがあり、作品の場面写真はもちろん、こうせいさんが撮影したロシアでのノルさんや、ノルさんの心からの友であった故・高畑勲さんの楽しげな写真もある。撮影場所はさっきから話している、児島さんとこうせいさんお二人のこの一軒家の中である。実のところ、児島さんはノルシュテインと初めて出会ったまさにその日から彼をご自宅に招き入れており(その話は本の中で読める)、以後、来日時にはこの場所がノルさんの東京における活動の拠点ともなり、アニメーションや絵本、文学等のフィールドにあまたいる、筋金入りのファンたちとの交流の場ともなってきていたのだった。
その口絵に続いて、ノルさんが今回の刊行に対しての序文を寄せていて、これは長年の友人に対する感謝状のようなもの。その文章にも触れられているが、児島さんの通訳はまさに当意即妙と言うべきものなのだが、そもそもあらゆることに博識であり、ロシアの詩歌も日本の俳句(のロシア語訳)もデータベースのように蓄え瞬時に吐き出せるノルシュテインという巨人の知に応えられるだけのものをお持ちだからこそ成せる技なのだ。先に話した不遇時代の日本でのワークショップだって児島さんがいなければそもそも実現するものではなかったはずで、児島さんはある時期、ノルシュテインの命綱だったと捉えることも出来る。一方で、私たち日本人は児島さんがいてくれたからこそ、ノルシュテインの叡智や作品に対する思い、彼の映画術、アニメーション術に、ダイレクトに、とまでは言えないまでも、かなりの精度で触れることが出来てきたのだった。二人の出会いに心から感謝したいし、その出会いがなかったら色んなことが(日本での作品の修復も含め)起こりえなかった、と考えるとなんだか恐ろしいような気持ちにもなる。自分を含め、ノルシュテインの作品や彼の存在が、人生の中の大きな部分を占めていたり、何かに取り組む際の規範になってきた人が少なくないと思うからだ。
そのノルさんの序文を翻訳しているのが児島さんではなく、パートナーのこうせいさんというのもいい(まあ、自分について書かれたものを自分で翻訳するのはさすがに照れ臭いということもあるだろうけれど)。ルーマニアが専門のこうせいさんだが、僕が訪ねた折に、NHKの講座のテキストになにやら沢山書き込みをしながらロシア語も勉強されている姿を見ていた。その頃、御年ちょうど80歳くらいだったと思うのだが、その向学心にも胸を打たれた。
本文はいよいよその後から始まるわけだが、まあ、あとは是非、買って読んでいただければと思います。もちろん、ノルシュテインに興味がなければ、彼の作品をただの1本も観たことがなければ始まらないわけだけど、僕が修復作業をまとめさせてもらって出来たBlu-rayやDVDも売っているし、Amazonプライムの中の「シネフィルWOWOW+」というチャンネルの中にも入っている(プライム会員の方は月額390円だが、4/7までに申し込めば60日間無料だ!)。正直、初見では一体何が言いたいのかよく分からない作品もあると思う(特に最初の2本)。そこでガイドになるのがこの児島さんの本というわけだ。ただ、作品を見始めてまだ日の浅い人が、問題集の答えを見るようにこの本に飛びつくのは感心しない。まず自分の中で十分に受け止めましょう(1本1本は10分程度のものが多いから、2度、3度とみてほしい)。分かる作品、分からない作品あるだろう。しかし、映画は分かる分からないだけを求めるものではない。もちろん背景や歴史を知ればなぜこういう映像なのか、こういうカット割りなのかという説明がつくこともあるが、大事なのはそんなことは知らなかったのに、自分に迫ってくる何か得体の知れないものがあった、という経験だ。先に答を求めればその感慨すらも知識の波にさらわれてしまう。まず己を信じよ。その上でこのような本がより役に立つのである。なんて書くと、買ってもらえなくなっちゃうな。いつまでもあると思うなBlu-rayと本。とりあえず、どっちも買っといて!
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