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ジョーイ・バロンとの会話

 思いっきり目ぇつぶってますけども笑、ジョーイ・バロンさんとの2ショット。好きなドラマー、もちろんたくさんいますけれど、多分、世界で一番好きなドラマーのジョーイ・バロンがゲーテ・インスティトゥート(ドイツ文化会館)でライヴをやると知ったのが実施の一週間前の話。パーカッション奏者のロビン・シュルコフスキー(失礼ながらこの人を存じ上げなかった)と一緒に、3日間、日本のミュージシャンが日替わりでゲストで入って共演するという。しかも、入場料が、ちょっと名前の知れた人ならすぐに1万越え、超ビッグネームなら2万越えというこのご時世にあって、なんと1,500円、3日間通しなら3,000円という、信じられないような企画で、こりゃ行かないわけがないでしょ。他の予定も確認して、妻は初日の4/25(ゲストはギタリストの大友良英とドラマーの山本達久)に、僕は最終日の4/27(ゲストは声とエレクトロニクスの足立智美)に行くことにしました。おまけにこの日は昼からワークショップもやるという(その1,500円に込み込みで)。楽器や声の経験は不問という誰でもウェルカムなものということで、なんか体動かしたいし、普段の自分の活動のテリトリー(場所的な意味でも、行いの意味でも)とは違うところで、日常の垢を落としたいし。午後2時から行ってきましたよ、青山一丁目。青山通りの草月ホールの角をちょっと入ったところです。

 ギョエテ、初めて行きましたが、広いロビーみたいな空間に、段ボールの箱とか、工事現場にあるようなコーンとか、ポリバケツとか、鉄やプラスティックのパイプとか、あるいは菜箸とかお玉とかの調理器具が置いてあったり、吹き抜けの2階から大きな薄い木の板が3枚ぶら下がってたり。

休憩時間、お茶を飲んでるロビンさん。 

 この日のゲストの足立智美さんが通訳的な役目もしつつ、3人を中心に、参加者20人くらいが最初は椅子に車座になってワークショップ、スタート。「最初は僕たちのやることの真似をしてください。そして10分くらい経ったら加わって」と足立さん。座ったまま腿の上面を定速で擦る。みんなも擦る。それがだんだん途中でスピードが変わったり、フェイントが入ったり。そのうちにジョーイやロビンが立ち上がって、あたりに置いてあるさまざまなものを鳴らしたり、擦ったりして、音の綾が出来ていく感じ。ただ、そこで何か「曲」になるものを作ろうとか、そういう感じでもない。参加者も思い思いに目の前のものを手に取って、ランダムに音を出していく。時々、ロビンやジョーイが一人一人に近づいては、そのものにはこんな音の出し方もある、と別の箇所を叩いてみたり、擦ってみたり、これを使ってみたら?と菜箸を差し出したり、そんなアドバイスが言葉を使わずに入る。音の発見。音の出し方の発見。時たま偶然にか、それとも誰かが誰かに応えた結果なのか、音の海の中に一つや二つのグルーヴが感じられるような瞬間があり、自分もその流れに乗ってみたり外れてみたり。この無秩序な集団即興が20分も続いたでしょうか。だんだん音量も上がってきて、この様子をいきなりこの場所に訪れた人が見たら、相当ヤバい感じ笑。

 一旦休憩。予想外のみんなの集中ぶりと、生み出される音の洪水にロビンさん、満足そう。次は再び車座になって、今度は声や口を使った音を、掌に掬って、隣の人に渡していくリレー。そのまんま、というわけではなくて、何かしらの変化をつけて次の人に渡していく。

 その後は、さっきと同じようにロビーをうろいろしながら、いろんな物を使って音を出すんだけど、今度は「擦る」ささやかな音限定。そこに声を加えるんだけど、これも声帯を震わせるような「声」ではなくて、口先でシュルシュル言うような小さな音。ゲーテ・インスティトゥート、太っ腹だと思うのは、レンガ状の壁とか、大きな窓ガラスとかをいろんなもので鳴らすのもOK。日本人仕切りのこんなイベントだったら、まずそんなことやらせてくれなさそうじゃない? 傷が付くとか、危ないとかって。さっきの映像のリンクでもジョーイが施設の排気管?(あれはなんて言うんだろう……『ダイ・ハード』でブルース・ウィリスが匍匐前進してるようなヤツ)を叩いてますが、後で書く、最後の3人のパフォーマンスの時、ジョーイもロビンも、この管(演奏会場の奥の方の別の部屋にあった)をマレットでガンガン叩いて広がりのあるベース音出してました。なんかそういうことだけでも、嬉しくなっちゃうんだよね。あれするな、これするな、あ、それやっちゃダメらしいですよ、って管理してない人までは言い出すようなこの国にいるとさ。

 みんなでやってみた感想を言い合う時間がちょっとあって、ロビンが一言。「ものには大きな音の出るものと、小さな音しか出ないものがあります。たとえばこのタイルのように(チキチキチキと鳴らす)。どんなに頑張ってもこれくらいの音が精一杯。他に大きな音が鳴っていたら、かき消されてしまう。ではその音が聞こえるようにするにはどうしたらいいでしょうか?」

 長めの休憩を入れて(ワークショップ自体は3時間)、今度はパートナーを選んで、その人と、近づいたり離れたりしながら何かしら音の交換をする、というセッション。僕の相方になったのは40代くらいだろうか、髭に丁髷の男性で、明らかになんらかの演者をやってる風の人(あとから聞いたら他の場所で、足立さんと一緒にプレイしたことのある人でした)。まあ、来てる人はそういう人が多かったんですけどね。その人と一つの段ボール箱で、セネガルのトーキングドラムよろしく、なんだか意味のありそうでまったくない笑、原始人に戻ったかのように、『未知との遭遇』の異星人とのファーストコンタクト音のように、会話とも言えない音の会話を楽しみました。それが佳境になった頃、ロビンやジョーイがひとりひとりに新聞紙を配り始めて、それをシャカシャカ鳴らす。やがて全員が新聞紙を持ってそれが放つ音だけのセッションに突入です。

 さて、この集団は18時から始まる夜の部で、お客さんを前に、3人によるパフォーマンスの前にこのワークショップの成果を疲労しなくちゃならない。というわけで今までやってきたことを中心に、各人、お好みの鳴らすブツを決めて、①それらを鳴らす②ボディ・パーカッション③ブツの鳴らし+声④パートナーとの音の交換⑤新聞紙、という流れを決め、一度、短めのリハーサル。それが終わろうとする頃、ちょうど港区の5時を知らせる音楽が外から鳴り始めて、なんともいいオチになりました。

 このワークショップの狙いは、音というものは、そのために作られた楽器だけではなく、どんなものからも発せられて、それらはみな上下なく面白い、ということの発見、しかも大きな音でなく、小さな音、小さなアクションから生み出されるものにも豊かな面白みがある、ということだったと思うんですが、こうした外からの予期せぬ、しかし普段は耳に馴染んでいた音(というのは僕は勤め先も同じ港区なので、5時になるとこのメロディを毎日聴いているわけです)と、自分たちがやってる音とのブレンドもまた新鮮に響きました。

  リハの終わりにジョーイがみんなに一言。「ひとつ大事なことを言いたい。常に演奏しようと思わないで。人が何をやってるか聞く時間も必要だからね」。これ、まったく得心が言ったというか、僕が彼の演奏から感じてたのはいつもこのことだった。手数が少ない、というわけでは決してないけれど、彼のドラミングの何が好きって、その「間」の取り方。叩いてない、その隙間にも音楽があるような。

 1時間の休憩の間、あたりを散歩して帰ってきたら、ジョーイが誰彼となく談笑しているので、僕も加わる。実は彼とはイタリアのピアニスト、エンリコ・ピエラヌンツィのトリオで来た時(ベースはマーク・ジョンソンだった)に公演の後にサイン会が会って、その時、ちょっとだけ話したことがあったのだが(今、調べたらそれがちょうど20年前で驚いている。ついこないだのような気がしていたのだが……長年ジョーイを見る機会があれば足を運んできた僕だけど、いつもはスキンヘッドの彼が、ただその時だけ、聖職者みたいに頭頂部だけ禿頭を残してその周りに毛を生やしていた。だからサインをもらいながら「あなたの髪の毛、初めて見ましたよ」と言ったら彼は「僕もだよ!」と笑ったのだった)、もちろんそんなことを彼が覚えているわけもない。初めてのように挨拶をする。

「昔っからのあなたのファンで、最初に観たのはもう30年以上前、ビル・フリゼール・カルテットで、場所はすぐそこの草月ホールでした」
「えっ、あの時の会場ってあそこだったの? 全然覚えてなかった!」

 あとから思えばそれが最初じゃなくて、法政大学でのジョン・ゾーンのネイキッド・シティ(こっちにもビル・フリゼールは参加している)の方が先だったかもしれない。まあいいや。

「最初に日本に来たのっていつですか?」
「1970年代、秋吉敏子さんのトリオで日本中、あちこち回った。そのあとはアル・ジャロウのバンドで何かのフェスだったな。ハービー・ハンコックとか有名な人がいっぱい出るようなね。最近はブルーノートとかコットンクラブとかに出ることが多いけど、あんまり好きじゃないんだ。とにかく入場料が高すぎるし、ワンセットが短いし。日本にも友だちがたくさんいるんだけど、払えないって言うんだよね。お客には音楽を全然聞いてないビジネスマンも多いし。もっと小さなところの方がいいよ。ジャズ喫茶みたいなところ。DUGって知ってる?」
「新宿の」
「そう。あそこでやったカーメン・マクレエ(ジョーイはキャリアの最初期にカーメン・マクレエのドラマーを務めていたこともある)の弾き語りのライヴなんて素晴らしいよ」
(*後日、そのライヴを収録した『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』というアルバム、CDはもう廃盤で中古が高値になっていたので、音声ファイルを買ってみたが素晴らしかった。ピアノ、歌はもちろんだが、録音も抜群にいい。)

サボテン演奏。

 なんて話してたらもう本番の6時である。リハの時には言ってなかったが、最初にロビンさんがサボテンの演奏(極小のマイクが2箇所、サボテンの側にあって、下にあるギターアンプに繋がっている)をやって、そこから我々の演奏になだれ込む、という流れ。ジョーイとロビンと足立さんのライヴを見に来たお客さんももうそこにいるわけだけど、まあ演奏してる我々とせいぜい同じか、ちょっと少ないくらいの人数。彼らを前に、さっきまでリハでやってたのをもう一回、今度は長めに。二度目ということもあり、これが本番という気合いもあり、また、少ないとは言えお客さんがいるという責任感もあり、何かこう、さっきよりもいい緊張感のあるプレイになったような気がしましたね。最後の新聞パートは、そのお客さんたちにも新聞を渡して、みんなで新聞をヒラヒラと。楽しかった。

 さあ、あとは一観客として3人の演奏を楽しむだけだ。

演奏する3人。

 さっきのロビーの隣にある小さめのホール。舞台もあるんだけど、それは使わず、フロアにジョーイのドラム、ロビンのパーカッション一式、写真左端にシンバルがぶら下がっているのがお分かりでしょうか。これも使う。あと、さっき言った排気管は右手の奥、暗くなっているところの向こうの部屋の天井付近にあるので、たまにジョーイかロビンのどっちかがそこに消えたりする。そして2人の定位置の奥に足立さんのMacbookや、謎の自作エレクトロニクス機材、マイクなど。足立さんが実際にどんな演奏をするのか、全然分かってなかったんですが、ボーカル・スタイルとしては巻上公一さんみたいな擬音語みたいなものを発し、その音が右手の指につけた装置の位置やアクションで加工される。人に喩えてばかりで恐縮ですが、ローリー・アンダーソン的な感じあります。あと、ガイガーカウンターじゃないけど、小型のスピーカーから電極が出てるものがあって、その電極をいろんなものに当てると、その材質からなのか、単にテクスチャーの起伏に由来するのか、いろんな違ったノイズが増幅されて出てくるものも使ってました。曲は多分、全部インプロだったと思うけど(前日は尺八などのゲストと武満徹の曲をやってた模様)、まあ飽きない。三すくみの丁々発止がスリリングで楽しい。見てて思ったのは、もちろん彼らはプロフェッショナルのミュージシャンで、やってることは凄いんだけど、それでも、彼らがやってることは、さっき僕たちがやってたことの延長線上にある、ということ。いや、僕が彼らみたいになれる、なんて言いたいわけじゃないよ。なれません笑。だけど、さっき自分でやってみた経験があるから、そこで知った、ものが生み出す些細な音の違いの面白さだとか、誰かの音や動きに反応してこちらも何かを返すインタープレイだとか、そういうものが極限まで研ぎ澄まされて到達したものが今彼らがやってる超絶のプレイなんだ、という理解。ロビンが言ったように、小さい音を活かすために他の2人もそれが聞こえる環境を整えるし、ジョーイは、自分が言ったようにただ演奏するだけじゃなくて、相手の音を聴いて、いつそこに入るかそのタイミングを常に探っている(時には入ることを諦める)。誰かと音楽をやる時の、もっと言えば誰かとコミュニケーションを取る時に守るべき、基本中の基本。

 この日の動画は撮ってないんだけど、YouTubeにジョーイとロビンのデュオは幾つか上がってるので見てみてください。一つ、置いておきます。あと2人の名義で2018年に出したアルバムが一枚あるので、それはお使いのサブスクで聴けるかも。コレです。

 3人のパフォーマンスは1時間くらい。一回アンコールをやってお開き、となったら会場のスタッフの方が「みなさーん、ビールが冷えてまーす」。マジすか!? さすがドイツ! 振る舞い酒をいただいて、もう一回ジョーイに挨拶して、さようなら、です。

「今はベルリンに住んでるの?」
「住んでると言うか、まあ根拠地というか。もう20年くらい、ベルリンからどこかに行ってはまたベルリンに戻る、という暮らし。でも、もうすぐスペインに引っ越すんだ。バレンシアの近くにね。ベルリンは寒くて暗いからさ。僕は暖かいところでドラムを叩いてるのが一番いいんだ笑」
「今お幾つでしたっけ?」
「69歳」
「身体に気をつけてね。今日はとっても楽しかった。」
「ありがとう、僕も君たちと演奏ができてとても嬉しかったよ」

 


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