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そこそこ真面目なやつ

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ミスドのある街で育ったひとは気さく

 あたらしく誰かと出会うとき、なにかひとつの基準を設けて、「このひとはこっち」と予想しながら喋るのが好きだ。  たとえば、「部活を真面目にやってた / やってなかった」。初対面のそのひとと言葉をかわしながら、「あ、この感じは部活を真面目にやってたな。たぶん、バスケ部っぽい」という具合である。  そのひとが発するオーラや所作、ことばの端々から自分なりに仮説を組みたてる。ある程度の材料がそろったら、正解を言ってもらうよう質問する。上の例でいけば、「●●さんの部活って強かったん

自分のnoteをGoogle広告に出稿したら、東京23区をジャックした気分になった

 人はなにかをつくると、他人にその成果物を見せたくなるのだと思う。  たとえば私の亡き祖父。彼は俳句を趣味として生きていた。近所の友達とサークルをつくって互いに句を詠みあったり、晩年には数百の句を書き留めた本を自費出版した。何部刷ったのかは知らないが、おそらく知り合い全員に配っていたのではないだろうか。とうぜん孫の私にも手渡された。当時はそのよさがわからなかったが、いまでは彼の句を読むのが面白かったりもする。  また、もうひとりの祖父も似たようなものだ。現在83歳の彼は、