どこまで行けるか

 1899年の冬のことだ。
 大英帝国は老い、だが私たちは若かった。わたしたちはロバートの館に招待されていた。夜が更けるにつれ酒が進み、始めはにぎやかに四方山話で盛り上がっていたのが、段々に静かになり、グラスを傾けながら踊る火を見つめる時間が長くなった。暖炉には新しい薪が足されたところだった。
 わたしは向かいの椅子に掛けたロバートの足先がふらふらと上下に揺れ、影が絨毯を行き来するのをぼんやりと眺めていた。その動きは何かを思い出させるのだが、酔いがもたらす気づきにはありがちなことだろうが、それが何であるかはあと少しのところで掴みかねていた。

 クッションを抱えて床に伸びていたピーターが、沈黙を破るように呟いた。「完璧な日曜日とは何だろう」それはいかにも唐突に響いた。
「完璧、を何をもって定義するかにもよるだろうね」ロバートが気だるげに答えた。「僕についていうならば、熱い紅茶、焼き立てのクロワッサン、美しい妻、可愛い子供たち、愚かだが忠実な犬、差し出口を叩かない従僕、まずはその辺りが揃って初めて、心地よい日曜日が送れると思う」
「君が家庭の安息を求めているとは意外だったな」ピーターは小さく笑った。「なるほど、紳士の求めるべき模範的な日曜日ではあるかもしれない」
 わたしもこの話題に乗ることにした。「思うに、完璧な日曜日を迎えるには、日曜当日だけでは足りないんじゃないかな」
「と、いうと?」
「つまりさ、日曜日が完璧であるためには、朝の目覚めから完璧である必要がある。前日に夜更かしなんかしてはいけないね」そしてグラスを持ち上げて見せた。「勿論、酒もだめだ」
「なるほど。つまり土曜から然るべく準備を整える必要があると」
「ところがさ。土曜日が完璧な日曜を迎えるために必要十分な状態であるためには、当然ながらその前日もまた“完璧な日曜日の用意をできるくらい完璧な土曜”を準備できなければならない」
 ロバートが鼻を鳴らした。話の行き先がわかった、という訳だ。わたしは無視して続けた。
「当然ながら完璧な金曜日が要求される。そして金曜日を完璧にするためには木曜日もまた。それを繰り返していけば我らの始まりの日まで遡らなければならないだろうな。論理的に」
「論理的にな」ロバートがからかうようにいった。わたしはまた無視した。
「完璧な日曜日、それを僕は経験したことがある」ピーターが流れを断ち切るように口にした。「子供の頃だ。一家で郊外の森までピクニックに出かけたことがあってね。父はまだ健在で、母もいつも楽しげに笑っていた。僕と妹はバスケットを一緒に抱えてよたよた歩いて、家族を祝福するように陽が穏やかに射し、きらきらと輝きながら流れる川のせせらぎも耳に優しかった」陶然とした調子で続けた。「これまで生きてきて、あのひと時ほどに幸せな時間は僕にはない。あれこそが完璧な日曜日だった」
 ロバートもわたしも黙った。そして、ピーターから以前聞いた、一家がその後辿った運命を思った。薪がはぜた。
 少しばかり感傷的な気分で視線を落とすと、視界にロバートの足先が再び入った。それは依然としてひょこひょこと気になる動きを続けていた。
 その瞬間、わたしは気がついた。
「水飲み鳥だ」
 二人がこちらを見た。
「水飲み鳥が世界を滅ぼすんだ。そうだった。どうして忘れていたんだろう、大切なことなのに」わたしは頭を抱えた。
「どうしたんだ?落ち着けよ」とロバートがいった。
「お前はロバートじゃない!」わたしは叫んだ。そしてもう一人を指さした。「お前もピーターなんかじゃない!」
 唖然とする二人を尻目に、わたしは暖炉の端に手をかけそのままべりばりと紙のように引き剥がした。紙ではないが紙のような何かは手の中でしわくちゃ縮み、開いた空間には無窮の闇が広がっていた。時針が丁度ひとまわりした。
 わたしは呟いた。「時間切れだ」
 そして“完璧な日曜日”を求め、暗闇へと身を躍らせた。

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