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目に見えない困りごとはある

時々フォローしてくださる方がいるのに全く投稿をしていないので、ツイッターへの投稿などをぽちぽち書いてみようと思います。

こちらのツイートの事…。とても共感してしまいました。

今、国から出ている生活についての提案や、「大変とは言えこういう風にもできるよね」的な考え方を見るにつけ、そう出来ない人が見えていないのだろうなといつも思います。
何かとオンラインで、というのもネットが自由に使える人を前提としているし、新しい考え方なんて差し迫った困り事があったらなかなか出来ませんよね。

今回のコロナ騒動で、これを一番最初に感じたのは、ティッシュやトイレットペーパーがなくなった時のネット上の反応でした。
「代用できるものはいくらでもあるんだから、そんなにムキになって買わなくても」という意見が散見されたんですがこれは「代用できるものがいくらでもある」という前提の話であって、この人たちは、そう出来ない人の事が見えてないのでは?とすごく引っかかったのでした。

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今、いろんな人がいろんな形での我慢を強いられています。
そして、国や都道府県から出る提案もまた「申し訳ないがもう少し我慢を」と言うものだったりします。けれど、それらは現時点で平均値以上のエリアにいる人を前提としたコメントであり、それを善とするのは、限界に立っている人を本当に終わりへ追い詰める事です。
DVの増加や、時々報じられる、生活苦を理由にした犯罪などはその、わかりやすく悲しい例でしょう。

そこをすくいあげる策を国に一刻も早く提示してほしいのはもちろんですが、個人で出来ることもあります。それは、現状を「仕方なし」と思わず、「仕方なし」と思えない人に思いを馳せることです。
能動的なアクションにハードルの高さを感じても、加担しない、というのだってある意味でアクションだと思います。

困っている人は私の周りにはいない。と思う方も多いでしょう。
でもどうでしょうか?今、あなたの隣にいる「困っていない人」は、もしかしたら「困っているのを隠している人」かもしれないのです。

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