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正しさは「正解」ではない


次のステップへ進むんだって、今の足場がちゃんとしてなきゃ無理なんだよね。不安定な所にいる人に、通りすがりの人が「早く次へ進まないと〜!」などと一方的なエールを送る。そんな感じの場面をよく見る。
励ましたいのは誰?何のために?

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先日、こんな記事を見つけました。


ざっくり言うと、「世界的にみたら日本の経済事情はかなり悪化しているよ。海外からの視点で経済を見ないとそこに気がつけないよ。でも海外に関心がないから井の中の蛙になり、どんどん貧困に陥っていきますよね。」
というような話なんですが、書いてある内容に自分がとても憤ったので、それは何故なんだろう、としばらく考えていました。

「この記事はよくない!」とかジャーナリスティックな話ではなくただの感情的な話なんですが、こういう記事を見ると、「客観的に見る余裕がないくらい手一杯」という感覚が書き手にはないのか?という気がして、すごくもやっとしてしまいます。

例えば、転んで膝から出血した時に「いま貴方は転倒した事で皮膚が破け、出血をした為、神経が痛みを感じています。速やかに消毒を行い…」とか言われたら「いいから早く助けて!」って思うでしょう。なんかそういう感じ。「正しいけどそれじゃない!」っていうような。

状況が解っていないんじゃなくて、解っていても打つ手がないとき「説明してあげようか?」って言われたら、結構つらいですよね。たぶん、正しければ正しいほどつらい。だって、正しい事を目の前にして動けないならば、自分が悪いとしか思えなくなってしまうから。
動かないんじゃなくて動けないわけで、動けないのは理由があるわけで、その理由もわかってるけどどうにもできない時っていうのがある。

最近、自分の調子が良くなっているのに伴って「やる気で覆せるコンプレックスはたくさんあるんだな!」と解ってきたけど、その一方で「やる気があれば覆せるはず」とか「頑張ってみた方がいいよ!」と、他人に対しても思ってしまう事があって、良くない。

頑張った方がいい、弱点は覆せる方がいい、上昇志向の方がいい。
そんなの誰だってわかってるんだ。だけど正しいわけじゃないんだよ。



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