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金融のソーシャル化 【なぜ今社会的インパクト・マネジメントなのか?シリーズ④】

「なぜ今、社会的インパクト・マネジメントが注目されているのか?」

ということを、自分なりに言語化したく、noteに気ままに書いていきます。

その時の勢いで書くので、認識に間違いや記載ミスがあるかも知れませんが、おいおい直していきます(たぶん)。

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金融が動くと社会がぐぐっと動きます。「ヒト・モノ・カネ・情報」と言われる資本主義経済における経営リソースの中で、カネの持つ力は大きいですね。

カネを扱う金融セクターが、ソーシャルセクターとどう絡むようになってきたのかを、ざっと掴むための記事です。

※金融に関してド素人なので、記載や言葉の使い方に間違いがありましたら、ご指摘いただけたら嬉しいです m(__)m

事業を進めるための金融

金融は、資金を、余剰のあるところから需要とニーズのあるところへ移動させることである。事業を行うには資金が必要であり、事業によって必要な資金の形態は様々である。資金が調達できることで事業が動き始める。金融は触媒であるが、上手く活用することで、他の資本(ヒト・モノ・情報など)を効果的に動員することができる。

資金の概念は、紀元前1000年頃のメソポタミアやエジプトで生まれ、硬貨・紙幣、信用取引が始まっていた。紀元前300年頃、アレクサンダー大王は得た巨万の金銀を貨幣流通に乗せ、金利を下げることで貿易と産業を発達させた。

大航海時代の16世紀、イギリスで共同出資による株式会社が生まれた。資金を出資して得られた経済的リターンを出資者が得る。東インド会社など、貿易を独占する株式会社が重要な役割を果たした。

17世紀には多くの株式会社の誕生と、産業革命における資金需要の高まりから、証券市場が誕生した。18世紀には、商業銀行など金融システムが発達した。

19世紀には産業経済を支えるために、鉄道・鉄鋼・石炭産業など大規模インフラのために資金需要が増加し、株式や債券の形態が発達した。20世紀、特に第2次大戦後は株式公開市場によってあらゆる産業が株式を通じて資金調達を図るようになった。

資本が資本を生み出す

金融をエンジンとして経済を発展させる資本主義が発達する中で、お金がお金を生む仕組みが生まれていった。資本主義では、資金は、より資金を生む方向へ流れ込んでいく。金融によって金利を得て資金を増やす金融イノベーションが生まれた事で、資金が流れ込み、さらに金融イノベーションを加速させていった。

1970年代頃から金融機関や投資家による株式市場の取引が盛んになり、証券化された金融資産がやり取りされるようになった。実体経済から株式市場が乖離し、将来への期待が膨らむ度に株式市場が盛り上がり、実体経済との間を行き来しながらバブルが進む。金融イノベーションと共に、様々な資本が証券化され、金融市場に組み込まれていった。80年代に土地という資本を活用して不動産を担保とした証券が生み出され、市民の急激な住宅需要を支えた。後のサブプライムローンである。

株式市場にて自社の株価が上昇することで、経営陣は多額の報酬を手にする。このことは企業が短期的収益を上げるインセンティブとなり、長期的な利益や企業の繁栄を犠牲にしてでも、目下の株価を上げることを目標とする経営者が現れるようになった。また、株価は将来への期待から価値を算定するため、企業業績の実態を覆い隠して未来の展望を語ることにより株価上昇が可能になる。未来の展望を前向きに語ることは、一歩間違えれば実態にそぐわない虚偽となる。株価を吊り上げるために虚偽の説明を、そして粉飾決算へ手を染める経営者が出始めた。2001年エンロン破たん(負債額は少なくとも310億ドル)、2002年ワールドコム破たん(負債額約410億ドル)のような巨額の粉飾決算は、数万人の従業員の失業だけでなく、金融市場を通じて多くの人の資産に影響を及ぼした。日本においても、西武鉄道、カネボウ、ライブドアなどが、株式市場と実事業の乖離による虚偽の疑いで、CEOが実刑判決を受けるに至った。

1997年のアジア通貨危機は、アジアの経済状況と為替レートのずれを狙った欧州の機関投資家の空売りによって引き起こされた。タイ・マレーシア・韓国は経済的な大打撃を受け、周囲の国も少なからず経済的な影響を受けた。日本においては金融危機のきっかけの一つとなった。欧米の株式市場を背景に持つ金融市場が、アジアの経済市場へ大きな影響を与え、アジアの実経済が打撃を受ける。ヘッジファンドや機関投資家の持つ財力が、国単位の経済に影響を及ぼすことが可能となったことが示された。

金融資本主義とリーマン・ショック

金融資本主義とは、本来、幸せや豊かな生活を手にするための「手段」であった金融を、お金を稼ぐことを「目的」においた資本主義の考え方である。全てを貨幣換算し、貨幣価値が多い方を良いこと、稼ぐことが全てといった価値観で経済や活動を評価していく。稼ぐことを目的としたマネーゲームが先鋭化し、資金を使って資金を生む、資金をより生む方へ資金を流し込む傾向が強まっていった。

2004年頃にもてはやされたサブプライムローンは、2007年にサブプライム証券の信用不安が顕在化したことで巨額損失へ繋がっていった。2008年リーマンブラザーズの破たん(負債総額6,130億ドル)により、世界は戦後最大の経済不況に見舞われた。金融機関と投資家のマネゲームが、世界中の経済に打撃を与え、人々の生活を崩壊に追い込み、自殺者を生み出した。

金融分野で働く人々にとっても、サブプライム問題とリーマンショックは目を見開かされる驚きであった。金融という資本主義の潤滑油が暴走し、実経済へ深刻な影響を与えた事実に、多くの人が胸を痛めた。経済を円滑に回し、人々の生活を豊かにしていくはずの金融が、人々を死に追いやってしまう。グローバル化が進む現代では、ある国で生じた金融危機は自国にとどまらず一瞬で世界を巡り、各国の実経済を脅かす。その影響は、経済的な余裕がない途上国ほど深刻な問題を引き起こす。

金融がそれほどの影響力を持つに至っていることを自覚した人々の間で、より良い社会を創るための金融の在り方について、議論が行われるようになった。

SRI(社会的責任投資)

SRI(社会的責任投資、Socially Responsible Investment)とは、資金の出し手である金融機関が株主としての立場を行使して、経営陣に対して企業の社会的責任(CSR)に配慮した持続可能な経営を求めていく投資のことである。

SRIの概念の先駆けは、1800年代後半に、奴隷を使っている企業に投資しないことを主張した投資家の存在が知られている。1920年代には欧米で、酒・たばこ・ギャンブルなどに関わる企業への投資を除外したことから広まるようになった。戦後、消費者保護・環境保護・反戦運動などと連動しながら、2000年頃からは、企業の社会的責任(CSR)の広まりと共に、環境・社会に配慮した企業へ積極的に投資していくことが提唱された。

2006年に国連事務総長のコフィ―・アナン氏が金融業界に提唱し、PRI(責任投資原則、Principles for Responsible Investment)が発足した。投資に際して考慮すべき領域として「環境・社会・ガバナンス」という3つの領域を明示した。これが現在のESG投資である。

金融包摂:マイクロファイナンス

金融のメインストリームから少し離れたところでも、金融イノベーションによって人々を貧困から脱出させる試みが進んでいる。

2006年、グラミン銀行とムハマド・ユヌシ氏が、マイクロファイナスの功績によりノーベル平和賞を受賞した。この受賞によって、貧困層へ向けた金融サービスの可能性へ注目が集まった。

マイクロファイナスとは「小口金融」と訳される。開発途上国など、社会的インフラが未整備の国においては、国民の多くが金融サービスにアクセスできていない現実がある。

1980年代頃、ムハマド・ユヌシ氏の母国バングラデシュにおいて、農村に住む多くの国民が銀行口座を持っていなかった。個人融資の仕組みも整っておらず、村人は高利貸しから暴利で資金を借りて事業を営み、返済を終えると利益が手元にほとんど残らず、貧困から抜け出せない状況であった。ユヌス氏は女性たちに少額の資金を貸し付けて、事業を行って返済してもらうことで収入の向上を支援する事業を開始。1981年にグラミン銀行を創設し、マイクロクレジット(小口融資)による貧困脱却の可能性を切り開いた。

金融サービスとは、貯金・送金・融資・保険という4つのサービスを指す。貯金することで日常的な変化に対応できる力を身に付けること、貯金によって信用を貯めて融資を受け事業へ投資すること、高い送金手数料を減らすことで都市部から農村部へ資金を円滑に安全に移動させること、保険によって思わぬ事態に備えレジリエンスを高めること。先進国では私たちが当たり前に享受している金融サービスを、途上国でも実現させている。

ユヌス氏の活動にならい、アジア・アフリカ・中南米に次々とマイクロファイナス機関が誕生し、貧困層に金融サービスを提供している。近年は、ICTの発達により、取引コストを下げた運用が可能となってきている。

さらに、個人向け金融サービスだけでなく、中小規模の事業者へ金融サービスを提供することで、雇用と産業を生み出す試みにも力点が置かれている。

社会的インパクト投資の潮流

社会的インパクト投資とは、経済的なリターンだけでなく、社会的リターンを求めて投資を行うことである。通常の投資は経済的なリターンのみを求める。社会的インパクト投資は、経済的なリターンをやや抑えつつ、対象企業が生み出す社会的リターンを期待する。投資だけでなく融資を含むこともある。

社会起業家やソーシャルベンチャーを支えるために、社会的インパクト投資の分野が動き出したのも、2000年代である。2001年に米国にてAcumen、同じ頃にインドにてアヴィシュカルが創設され、多くの社会起業家の活動を支えている。日本では草分けとして、2003年にARUN合同会社が社会的投資を開始し、アジアを中心とした社会的企業へ投融資を行っている。

財団が行う助成金は社会的リターンのみを求めるため、このグラデーションの中で多くの財団・投資機関が社会的インパクト投資を実践している。

2007年に国際会議にて「インパクト投資」という言葉が用いられ始め、2009年には国際ネットワークであるGIINが誕生。2013年には「社会的インパクト投資タスクフォース」としてGSGが誕生し、各国が主体的に参画し、グローバルな企業・金融機関を巻き込んだ動きが進んでいる。

ESG投資へ

2015年12月に気候変動へ対応するパリ協定が国連で採択され、2016年SDGs(持続可能な開発目標、Sustainable Development Goals)が始まり、ESG投資への関心は高まっている。

ESG投資では、投資機関はESG基準を満たす企業へ投融資を行っていく。受け手である企業は、自社の環境対策やSDGs事業を展開しながらESG基準を満たし、ESG投資を惹きつけていくことになる。ESG投資を受けていくためにSDGsに取り組むことが必要であり、そのことが企業がSDGsに取り組む一つのインセンティブになっている。

日本では、世界最大の投資機関でもある年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)がPRIに署名し、その後多くの金融機関・投資機関が署名し、ESG投資の流れが加速した。

2019年時点で、世界のESG投資は30兆7000億ドルとなり、社会的インパクト投資は5,020億ドルに膨らんでいる。パリ協定や海洋プラスチック問題へ向けて、この動きは加速する見込みである。

日本では、ESG投資は投資残高の半数を超える330兆円、社会的インパクト投資は4,480億円となっている。脱炭素社会の実現へ向けて動き出したこともあり、今後も広がっていく見込みである。

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社会的インパクト・マネジメントの果たす役割

金融は経済発展に欠かせないものでありながら、時には実経済を翻弄する存在でもあります。金融イノベーションを良い方向に生み出していくことで、社会をより良くしていく取り組みが続いています。

ESG投資、社会的インパクト投資、SIB、ソーシャルIPOなど、金融が動くことで社会も変化していきます。

そして、これら資金の出し手は、社会的リターンを求めます。資金の受け手である事業者へ「その活動によって、社会的インパクトは生まれているのか?」と問うていきます。

その時、事業者(企業・社会的企業・ソーシャルベンチャー・NPOなど)は、何をどう示し、彼らの問いに答えていくのか。その答えの一つが、社会的インパクト・マネジメントです。

社会的インパクトを生み出すために、多様なステークホルダーを巻き込むことになります。資金の出し手である金融・資金提供者の理解と協力は欠かせないものです。社会的インパクトを生み出すプロセス・仮説を共有し、進捗をモニタリングし、学びを事業改善へ繋げていく。

その共通言語として、社会的インパクト・マネジメントを活用してもらえたらと願っています。

以上

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●参考書籍


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