ああ、大道芸 寅さんを生んだ世界(八)

第八章 無くナッチィマッタだと、それを言ッチャ、お終メーよ!

 近年、大道芸で叩き売りといえばバナナの叩き売りを意味し他の叩き売りはその存在を失ってしまいました。叩き売りは売り手と買い手のオークションであり、特にバナナに限ったものではありません。これが、叩き売り=バナナとなってしまったのはバナちゃん節の存在の外、本来の日用雑貨の叩き売りが地盤沈下して、ステージショーとしてイベントで見せるだけの叩き売りになってしまったためでしょう。

イベントでやるならば、価格も安く仕入れも手間のかからない、誰でも知っている「あのバナナ」が見せるショーとしての人気を集めているのが昨今です。そこには、実際にバナナを売ってその代金を生活の糧としていた舌耕芸のダサくて、泥臭い響きがなくなっています。その響きは今まで述べてきたように室町時代をはるかに遡る以前に生まれ、各地の寺社のお祭りや縁日で延々続いてきたものです。それが急速に姿を消したのは、日本が高度経済成長を始めた昭和三十代に入ってからと思われます。家電製品の普及、中でもテレビの普及がそれまでの娯楽の有り方を大きく変えました。家で居ながらにして観られるテレビは、年に一度楽しみにしていたお祭りの楽しさを毎日、家庭に運んでくれるようになりました。

少し説明を補足するとテレビの出る前に映画が登場しました。この映画の登場により、のぞきカラクリなどの見世物がまず姿を消しました。映画による映像芸能と舌耕芸による実演芸能が共存していた時代が昭和初期から昭和三十年頃まで続きました。そして登場したテレビ。それは、伝統的な舌耕芸をテレビと共に残り行くものと滅び行くものに二極化しました。大道芸は、残り行く落語などと違い、浪花節、門付け芸と共に滅び行く仲間に入ってしまったようです。これまでワクワクドキドキして観ていた物売りの声も見世物小屋の出し物もチャチでみすぼらしく、つまらないものに変えました。

また、モータリーゼーションという車社会の波は、各農村の祭りでしか入手できなかった日用雑貨を容易に入手できるようにしました。車で飛ばせば十数分の隣町のスーパーで買い物ができるようになると、祭りの持っていた「市」としての機能は大きく低下し、大衆から見放された草の根の芸は急速に姿を消しました。
このため今日のお祭りでは、客を呼込むあの寅さんの啖呵売も、バイォリン演歌師や傷病兵のアコーデォンが奏でた哀愁の音色もありません。音のないお祭りがそこにはあるだけです。

 今日、お祭りに行くと確かに露天商が出ています。だが、その大半は、「焼き物」と呼ばれる食べ物屋です。たこ焼き、お好み焼き、トウモロコシ焼きにホットドッグ、最近は時代の好みに合わせピザ焼きも登場……
 「焼き物」の露天もよいですがこれが大半を占め、声のないお祭りが当たり前になるのを見ていると、見捨てられ忘れ去られたあの啖呵売、見世物、サーカスの呼び声、鳴り物の響きが恋しいくなりませんか

 我々日本人が作ってきたものは、この大道芸のように遠く奈良・平安に萌芽し、室町期に様式を整え、江戸期に熟成したものを代々受け継いできたケースが多いと思います。しかし、昭和三十年以降、高度成長、欧米化、情報化の社会変動の中で多くのものを自覚のないまま無意識の内に捨てている気がします。
 歌舞伎、能、茶道、大相撲等といったものは、今後も残るでしょう。
 しかし、芸能に限らず各家庭で代々伝わった祖先の弔い方、野菜の漬け方など草の根の日本のアイデンティテーが、人知れず姿を消しつつあります。団塊世代として、核家族化、少子化の中で祖先から受け継いだものを次世代に伝えたいと思っています。 草葉の陰から寅さんの声が聞こえてくるような気がします。
 「オレの稼業の叩き売りが無くナッチィマッタだと、
               それを言ッチャ、お終メーよ!」                   ああ、大道芸 寅さんを生んだ世界 完

参考文献
・「近代民衆の記録・4」   新人物往来社
・「一揆・雲助・博徒」    田村栄太郎 三崎書房
・「てきや(香具師)の生活」 添田知道  雄山閣出版
・「やくざの生活」      田村栄太郎 雄山閣出版
・「日本の放浪芸」      小沢昭一  番町書房
・「ヤクザ」         朝倉喬司  現代書館
・「ヤクザと日本人」     猪野健治  現代書館
・「旅芸人の世界」      朝日新聞社

事柄によっては異なる主張は、これらの文献に基づき記述しました。

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