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記憶

私の母は認知症である。

私は母は100歳になってもバリバリ働くような気がしていたから、本当にショックだった。

沖縄のエイサーのグループに入っていたり、カラオケも大好きだったから、歌詞もよく覚えていた。山登りも楽しんでいた。人が好きだったから、友達も多かったし、何より、人と話すことが大好きだった。明るくて、あまりくよくよしない性格。ケセラセラの歌が好きだった。ケセラセラ、なるようになる。そんなラテン系の曲が好きだったのをよく覚えている。これは私はその時が気が付かなかったけど引き継いでいる。

車の免許を取った時は、その頃女性が免許をとることが珍しいこともあり、とても誇りに思っていた。そして、私がいつも驚かされたのは、母の描く地図の正確さだった。場所の名前、信号機の名前、警察署の名前、坂の名前、特徴ある場所など。

だから、妹から母が車で用事のために出かけて、迷った時は心配したと言っていた。よく無事に帰ってきたものだと思う。方向感覚を失い、GPSの使い方も分からない世代だから奇跡としか思えない。

今は母と電話をすることもできなくなった。会話が続かないからだ。母が認知症になるまでは1時間ぐらい平気で話していた。私は父とはうまくいかなかったから、母とのつながりが強かったし、女同士の話もよくしたし、人生でのいろいろなことで悩みを聞いてもらっていた。年齢の割には元気だった母であることがうれしくもあった。

母のことを見ていて思ったのが、やはり、記憶が失われていくことは健康ではないということ。体に特に病気でなくても、脳が働かないという事は、健康な生活を送れないからだ。デイサービスには行っていて、楽しく一日をすごしているようだが、もう人と関係を築くことはできないようだ。

私は母を見ていて、そのうち自分もそうなる可能性が高い、と感じている。だから、できるだけ、脳を活性化させたい、と思っている。だから、ウクレレを始めたのだった。

いろいろ調べて、認知症にかかるのを遅らせるには、音楽を始める、ダンスをする、歯の健康に気を付ける、お酒は適度に飲む、人と積極的に会うなどがあった。でも、コロナで出来なくなったことが少なくない。

人間の記憶は不思議。においと場所が鮮明につながっていたり。物に触るとそれに伴った思い出な鮮明によみがえる。

私は絶対認知症にならないと自分に言い聞かせている。
早くダンスが解禁になって、めっちゃ汗をかくほど踊りたい。
ウクレレはまだレッスンを再開していなから始めないと。でも、FACE to FACEでレッスンを受けたい。

はやくコロナが収束し、今までストップしていた活動をはじめたい。そして、それは私の記憶を健康な状態で保てるように私が努力しなくてはと思う。






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