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2000年代初頭のWWEから教わったもの

スポーツがくれたものってお題を見つけて勢いで書いてみる。
けどスポーツなんてほぼほぼやってないしなんなら嫌いなものの方が多いな。特に球技。

観るのもやるのも球技が嫌いで年配の方と一緒になる酒の席で盛り上がりやすい野球の話も全くできない。飲み屋の仕事を続けていくなら見ておいた方がいいとは思うんだけど全く興味がない。そもそも速くて硬い球が飛んでくるってこと自体が怖すぎる。

中学の時柔らかくて比較的球の速度が遅いからとバレーボール部に入ってみたことはあるが夜練っていう制度の意味のわからなさに2ヶ月で辞めた気がする。この頃から辞め癖はついてた。

小さい頃やっていたスポーツは柔道と水泳。親は英語塾に通わせるのと迷ったらしいんだけどおかげさまで人並み以上の肩幅を得れました。最近気づいたんだけど平均体重ぐらいの人達と写真を撮ると恵まれた肩幅によりトリックアートが完成する。100kg超え二人に挟まれてる写真でようやく違和感のない写真になるんだけど隣の100kgが小さく見えてしまう。デブはデカイだけで面白いのにデブの面白いところを殺してしまい本当に申し訳ない。普段無理していっぱい飯食ってくれてるのに。

水泳も柔道も親にやらされてる意識がずっとあって辞めれた時が一番嬉しかったな。水泳に関しては後半ずっとプールの端でゲロ吐いたり近くにあった古本屋で立ち読みしてた記憶しかない。

でも一つだけ熱中したスポーツがある。
それはプロレスで特に2000年代初頭のWWEがお気に入りだった。TSUTAYAのAVコーナーの入り口あたりにプロレスコーナーがあり暖簾の隙間から見えるエッチなパッケージを横目にドキドキしながらDVDを選んでいた。ショーンマイケルズにエディゲレロ、HHHにビッグショー、ケビンにアンダーテイカー、ミステリオやタジリなど個性あふれるスーパースターに童貞だった少年は心奪われていた。童貞卒業までに長い時間がかかったのはWWEでデカイ男とディーバ(女性スーパースター)達を見続けたせいで逞しい筋肉を持ってしてブロンドでケツのデカイチャンネーに捧げなければいけないという拗れに拗らせた固定観念が植え付けられたからだと思う。結局童貞卒業は酒の勢いであんまり手を出すべきじゃない人にいってしまったっていう後悔話もあるんだけど今は関係ないし思い出して泣いてるからやめようね。

その頃出てたPS2のエキサイティングプロレスはしこたまやり込んだしビッグショーとかバティスタみたいに特に体がデカイレスラーをよく使っていた。昔からデカイものが好きなのかな。着てる服もXXLだし俺のオーバーサイズはヒップホップよりプロレスから来てたのかもしれない。

レスラーはすごい。技を受け切るのはもちろんアメリカという国柄なのか日本のプロレスよりも演出が派手で(当時の思い出でしかないけど)ビル2〜3階ぐらい高いところから飛び降りたり車で轢かれたり生き埋めにされたりと身を切って観客の見たいものを届けてくれる。僕だったら絶対にやりたくない。小さい球ですら怖いのにパイプ椅子とか梯子ぶん投げられる仕事なんて嫌すぎる。たまに靴下食わせてくるレスラーとかもいるし。それでもそれを見て幸せになったり元気をもらえる観客達がいるから続けれているのだと思う。

仕事をする上でやりがいって大事だと思うんだけどお金だったり質だったり人によっていろいろあると思うんすよ。僕の場合はなるべく近い距離にいる人が幸せになってくれることでそういう意味ではレスラーマインドなのかなって。ある意味俺もレスラーなのかなって。今はもうプロレス見ることも無くなってきたけど当時活躍してた人達はこれからもずっと好きです。僕はデカイ人間が大好きです。デブも含めて。

#スポーツがくれたもの

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