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NYリレー小説プロジェクト

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マイキーとイーストヴィレッジの住人たち 第5話(リレー小説・無料編)

第五走者: 阿部良光

チヨはこの頃、一人思いに耽ることが多くなっていた。人生90年も生きていると、過去の全ての思い出がセピア色になって、感傷もなくサラリと受け流すことができていたはずなのに、両親の告別の日や無沙汰でも日本人の友人たちの消息が、急に気になり出し始めていた。マイケルのことはもちろん、楽しかった若い頃を、節目ごとに思い出してはいたが、どうして長い間交信がなくなっている日本の友人たちが気になり始めたのかわからない。

チヨは誰にでもフレンドリーだが、どちらかと言えば日本人と日系社会への関わりには、あまり積極的ではなかった。日系のソーシャルクラブに誘われるまま参加して、友達になった人も数人はいた。だが、どうもあの団体行動が自分には不向きと感じて、段々と足が遠のいていった。最初は母国語で話す気軽さや懐かしさもあってか新鮮に感じもしたが、徐々に終わりのないその馴れ合いの気風が、鬱陶しくさえなったのである。

しかしある時、隣人のリサが話してくれた最近のアニメの世界的な反響ぶりや、日本の巨匠たちが撮った映画特集の話を聞いた時、チヨの心が揺れ動き出したことは確かだ。チヨはこれが何なのかは、すでに正体は知っていたが、正面から向き合う気持ちにある種の面倒臭さも感じていた。日本に何年帰国していないのだろう。最後の帰国は両親の葬儀の時だから、20年以上は過ぎている。もう帰ることもないだろう、との思いでアメリカに来たことも心の奥にあり、気軽に帰国する気にもなれないでいた。

それは一番の味方のはずの両親が、チヨの結婚に強く反対したからである。以来、両親もこの世を去ったにもかかわらず、母国に住む親戚や知人へのわだかまりが未だ消えていないからだった。そんなチヨの割り切れない心の隙間を埋めてくれたのが、マイキーだった。もちろん最近のことではあるが、最初から気味の悪さなどはなく、その愛くるしい目の動きは何か憎めなかった。何よりも一方的な会話にストレスもプレッシャーも不要で、癒しさえ感じられるのである。

日本ではネズミは大国様の化身とか言われ、ネズミのいる家は縁起がいいとか、火事などの厄災が発生しないし富が約束されている、などという言い伝えがある。だからネズミにとって居心地が良く、人間も安心していられるということを聞いたことがあった。このアパートを変えなかったのは、今思えばチヨはその辺の理由も無くはなかったと笑ってしまう。 そして、今日はいつ会いにきてくれるかなと、最近はマイキーの出現を待ち遠しくもあった。

今日もまた日が暮れ始めた。それほど空腹な訳でもないが、ルーティーン化しているディナーの準備に取り掛かりながら、そう言えば最近マイキーの姿を見ていないなぁ、との思いに至った。 いつもならチヨと目が合っても知らんぷりしたり、すれ違いぎわチッと舌打ちするジョセフィーヌが、何となく小さく微笑んだ気がしたことが気になっていた。 チヨの胸にどっと不安が押し寄せてきた。

この前の夢のように、もしやジョセフィーヌがマイキーを捕獲したのではないか、はたまた、市のネズミ駆除作戦とか言って最近路地などで多く目にするネズミ捕り器に引っ掛かってしまったのではないか、と不安が頭を駆け巡った。アパートの廊下で人の声がする。「昔に比べて最近、ネズミがよく出るよね」ジョセフィーヌだ。「そうねー、私もそう感じていたわ」とリサ。 二人の会話は、ほとんどチヨのアパートの前でしていた。リサが昨日フリーマーケットで買ったトマトとキュウリをチヨに届けようとした時、チヨのアパートを覗いているジョセフィーヌに出くわした。

2C号に住むジョセフィーヌが、2Aのチヨのアパートの前にいるのは、2Bのリサのアパートを通り越してわざわざそこに出向いたとしか考えられない。「ところでジョセフィーヌ、あなたはここで何してるの?」「別になんてこともないけど、ちょっとね、、」「ちょっとって?」「実はね、変な噂を聞いて」と勿体ぶった調子でジョセフィーヌは語り出した。いかにも人から聞いたとでもいうように、”チヨの独り言”を話し出した。

リサはハッとしたが、初めて聞いた風を繕いながら、「そうなの? そりゃ一人でいれば、独り言の一つや二つは言うでしょう、、」リサはこの件に関して、絶対に後々、アパート全体に知れ渡ることを知っていたから、口やかましいジョセフィーヌと話し合うつもりはなかった。なのにそのことを知っているのは、スコットが言うように、やはりあれはチヨの独り言だったのだろうか。

To be continued…   第6話へ(近日公開予定)



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