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関心ありません

今回のテーマ: ギャンブル
by  萩原久代

ギャンブルで身を滅ぼす人がいる。pathological gambler、病的賭博依存症というらしい。ドジャースの大平翔平選手の通訳の男性がこの典型のようだ。違法賭博にのめり込んで、大平選手の口座から1697万5010ドル(日本円でおよそ26億4000万円)を無断に引き出していたというニュースは衝撃的だった。

3年以上におよんで賭博をしていたとはいえ、26億円もどうやったら使えるのか。一回に賭ける金額が半端じゃなく大きくなっていったようだが、普通のサラリーマンなら考えられない天文学数字だ。大谷選手の年俸を自分のものだと勘違いしちゃったのか!?

しかも、1万9000回も賭けをしていたという報道だが、仮に3年間(365日x3)とすると、毎日、17回以上も賭けをしたことになる。1日24時間、睡眠時間以外は、仕事中も休日もせっせと賭けをしてたという計算だ。なんとマメなこと! 本当にびっくりする話である。

このニュースがきっかけでギャンブルについて書くことになったが、私はギャンブルに関心がない。ニューヨーク州にはいくつかカジノがあるし、お隣のニュージャージー州にも有名なアトランティックシティのカジノがある。うちの近くのチャイナタウンから直行バスがあるというので、それに乗って一回カジノ見物に行ってみようかと思いながら、やはり関心度が低くて行ったことがない。でも何故チャイナタウンから直行バスがあるの? どうも中華系住民はギャンブルがお好きなようで、カジノのお得意様のようだ。

そういえば、香港でもジョッキークラブ競馬の場外売り場が街のあちこちにあって、いつも賑わっている。話は飛ぶが、香港の地下鉄に乗っていて気づいたが、携帯機器でオンラインゲームに熱中する人より、株取引チャートを見ている人が多い。株取引も賭けの要素があるからか。ギャンブルではないが、株投資もギャンブル的要素がある。私も株ってギャンブルか、という心境を味わったことがある。

本質的に株式投資に関心がないが、経済を理解するために株を少しやってみようと思った時期があった。勉強のためだからと、オンライン証券サイトに口座を作り、お小遣いの少額を動かしてみた。2012年頃だった。

証券アナリストによる企業業績や商品・サービスなどに関する分析を読んでみれば、株価の動きをある程度予想する範囲は判るような気がした。でも最終的には、えいや!とギャンブルする心境で売買するしかないと悟った。ああ、あと数日待てば10%も上がったのに、とか、逆に、下がる前に売っておいて良かった、という経験もした。

週に1~2回くらいの頻度で、証券アナリストの推薦や見解を読んで、さて、どの企業の株を買うか、どのタイミングで売るかを考える。買値と売値の額をサイトで事前にインプットしておく、つまり指値注文をする。トレード頻度は月に数回くらいなのに、デイトレーダーって大変な仕事だわ、とひとりで呟き、トレードってある意味でギャンブラーの素質が必要だなあ、と思った。

なかなか指値注文した額まで買値が下がらないし、売値の額まですぐに上がってくる株もない。いらいらして待ってもダメな時には、大決断をして即時に買い、売り、の成行注文にする。こんなことしても少額を回しているだけだから、元手が小さすぎて株売却益が100ドルとかだった。いくら勉強のためだと割り切っても、時間がかかりすぎるわりに利益が少なすぎる。が、家計予算に手を出してまでトレードしようとは全然思わなかった。

口座のサイトを週に2~3回チェックするだけだったが、半年もするとサイトを見るのも面倒になった。株価の浮き沈みに一喜一憂するのもストレスになった。怠け者の私は「果報は寝て待て」の境地に至った。私の口座は塩漬け状態になった。そこで勉強も終わった。

そして10年以上が経ち、口座があったこともほぼ忘れていた。でもこの間、米国の株価上昇が続いた。そして昨年、口座のあった中堅オンライン証券が最大手に合併されることになって連絡があった。それで塩漬けの株たちの様子をみることになった。市場価値は元金の5割以上アップ、中には倍増した銘柄もあった。これを機に持株を売却して口座を解約した。その現金を旅行の足しにした。

ああ、もっと大きく投資をしておけばよかった!と嘆くことなかれ。

この10年はちょっとラッキーなだけだった。2008年のような金融危機がなかった。直近の10年間にあのような下落があったら、半額以下になっていただろう。儲かる話は世の中にごろごろあるわけがない。10年前のお小遣いがインフレ率を上回って増えただけでも素晴らしい。

めでたし、めでたし。
私はギャンブルに全く向いてない。


萩原久代
ニューヨーク市で1990年から2年間大学院に通い、1995年からマンハッタンに住む。長いサラリーマン生活とフリーを経て、のんびり隠居生活を開始した。2010年からニューヨークを本拠にしながらも、冬は暖かい香港、夏は涼しい欧州で過ごす渡り鳥の生活をしている。

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