いい親

こちら2年前の本日更新。>最近は子どもに対して余計な干渉してはいけないと、親が過度に構えることによる弊害を見ることのほうが多くなりました。「あなたの好きなことをしなさい、あなたの人生なんだから」と子どもに理解を示し続ける「いい親」が増えたことで、かえって問題が複雑になったのです。このような子どもに気を遣う親というのは、あなたにとってかなり厄介な存在です。

なぜかと言えば、理解がある親でありたいという精いっぱいのふるまいの視野の中に、肝心のあなたがいないからです。それなのにあなたは、親は私のことをいつも思ってくれている、大切に尊重してくれていると、親の思いを宝物のように抱え続けます。

でも、そうやってあなたに理解を示し続ける「いい親」こそが、結果的にあなたをいつまでも「いい子」に縛り付けてしまい、あなたの抵抗力を根こそぎ奪ってしまうのです。それは最も優しい子育てのようで最も残酷な子育てなのに、親もあなたもそのことに気づかないのです。

親子関係に限らず、相手を気遣い配慮することは、相手と共に関係を踏みしめることを不可能にします。親は自分が傷つくことがない安全地帯から、子どもを気遣うことを通して自分を守っているだけなので、そんな親の虚偽にあなたは寂しい思いを募らせ、傷ついているのですが、あなたはその事実を決して受け入れずに、いい親であると信じ続けることで、自分の傷つきを見ないで済まそうとするのです。

現在、親が子どもに「〜したらダメ」みたいな否定語を使わないように諭(さと)す育児本があちこちで人気です。このような、否定語をポジティブなフレーズに言い換えるリフレーミングがなぜもてはやされるようになったかといえば、親の否定的なコントロールが行き過ぎると、それが子どもの人生を乗っ取ってしまって、ときにめちゃめちゃにしてしまうという反省があるからです。だから、いかに否定することなく子どもを立派に育て上げるかという点に、大きな関心が向かうようになりました。

しかし、少し考えてみればわかることですが、リフレーミングを意識する親は、「私が子どもにこう働きかければ子どもはそうなる」というコントロールの欲望をむき出しにしていますよね。子どもをコントロールしたいからこそ、狡猾なやり口に惹かれるわけです。こんなふうに、良かれと思って動く親というのは、すぐに自分がやっていることの本音がわからなくなります。そして、そのツケはきまって子どもが払うことになってしまうのです。

第14回 親はいかにして親になり、あなたに愛を伝えたのか|十代を生き延びる|鳥羽 和久|webちくま(1/2) webchikuma.jp/articles/-/2683

世の中のほとんどの親は、子どもをコントロールしたいという欲望から逃れることはできません。だからこそ、いくら小手先の技術でそれを回避しようとしても、きまって欲望が回帰してしまいます。

そして、そのコントロールの仕方は、ほんとうにえげつないんです。親は、「あなたが~しなければ、私はあなたのことを愛さない」というふるまいによって、あなたの存在の全てを賭けた愛情を質に取ることで、あなたをコントロールしながら育ててきたのですから。

そんな中であなたは、親との関係を通して、自分がやりたくないことをやらされたり、逆にやりたいことをダメだと言われる経験を得ることで自我を目覚めさせ、良くも悪くもあなたの価値観の根幹を形成してきたのです。つまり、あなたの主体性の形成には、親があなたに幾重にも畳み掛ける否定の働きが不可欠だったのです。

この意味において、親から与えられた否定性はあなたにとっての呪いであり、同時に宝でもあります。それによって、ときに存在を危うくされながらも、あなたはあなたになったのですから。あなたは親から与えられた否定性を通して、心の輪郭と存在の襞を手に入れたのです。

あなたが、日ごろ「これはいいけど、これはダメだなー」のように頭の中で何かをジャッジしているとき、その価値判断の端々には、親から与えられた否定性の経験が反映されています。そしてあなたは、自分の中にある幼い頃の感覚を確かめるように、人生の中でそれを何度も反復するのです。

否定性の経験が過酷だった場合には、この反復がその人生を苦渋に満ちたものにすることがあります。例えば、私は親に十分に愛されなかったという感覚を持っている人は、恋愛を通して、愛に飢えた感覚を何度も繰り返し味わうことになるでしょう。幼い頃の否定の感覚をいつになっても消化できない大人たちは、その感覚を置いておく場所を自分の中に見つけられずに持てあましたままなので、周りの気圧が高くなると容器から漏れ出す液体のように、何かの拍子でそれが傷つきの記憶として呼び覚まされて、溢れ出してしまうのです。

このような、親を通した子どもの傷つきのことを書いていると、自己肯定感を親から得られなかった子どもは大変だ……、なんて話を知った顔でし始める人が必ずいます。

ネットでも「自己肯定感は親からのギフト」みたいなツイートが定期的にバズりますから、言葉尻だけでも肯定しようと試みる親が多いのですが、肯定するってそういうのじゃなくて、今日は凧が風にのってよく飛んだなぁみたいな、やってみないとわからないことなんです。やってみないとわからないけど、飛んだらいいなあと思うことなら誰でもできる。その可能性そのものが、真に肯定的なことなんです。

「自己肯定感」なんてものは存在しません。なぜなら、人は自分ひとりで自分を肯定することなんてできないからです。むしろ、自分だけではどうしようもないということを潔く受け止めて、世界に身を開いてみることからしか何も始まらないのです。そして、そうでなければ、人生の面白みなんてどこにあるのでしょう。

あなたは、親に愛されたから愛を知っただけではなく、親があなたをうまく愛せなかったからこそ、愛の深さを知りました。愛を渇望し、それに触れてみるということを覚えました。そこに、あなたの人生の秘密があります。

※2年前の今日、更新された連載より

第14回 親はいかにして親になり、あなたに愛を伝えたのか|十代を生き延びる 安心な僕らのレジスタンス|鳥羽 和久|webちくま(1/2) webchikuma.jp/articles/-/2683

結局、自分のことしか考えていない。
こどものことより自分のことばかり。
私の親は面前DVとか「あなたのため」連呼だったから分かりやすくて、大人になってからだけど、私は愛されてなかったと気付きやすかったのは良かったなぁと最近は思う。