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当たり前であること

学校に通うこと。
友達に会うこと。
友達と毎日喋れること。
学校で勉強すること。
先生と話せること。

これまではずっと『当たり前』のようにできていたこと。
これまではずっとそれが『当たり前』に、『簡単』にできることだと思っていた。

でも、『当たり前』であったことは『当たり前』ではなかったのだ。
『簡単』ではなかったのだ。

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カナダに来て、約7ヶ月が過ぎた。
9月から始まった留学はもうすでに3分の2が終わってしまった。

毎日学校に行って、友達と話して、授業を受けて、先生と話して、バスの中でくだらない話をする。
この7ヶ月、ずっとそんなふうに過ごしてきた。
ずっとそれが当たり前だと信じて疑わなかった。

そんな時に「コロナウイルス」がやってきた。

カナダの学校は1週間の春休みに追加で2週間の休校期間が設けられた。
私は学校に行くことができなくなった。
その休校期間はまだ伸びるかもしれない。

留学の目的は『現地の学校で勉強すること』『現地の学校でたくさんのことを学ぶこと』『現地の学校で友達を作ること』、そして、『ホストファミリーからカナダの文化をたくさん学ぶこと』

そのほとんどは学校に行かないとできないことだ。

「学校に行けること」は『当たり前』だとずっと思っていた。

でも違った。

日本の学校も休校になった、と聞いた。

もし、私が日本にいたらどうだったのだろう。
こんなふうに思ったのだろうか。

きっと、
「休みになった!これでやりたいことがなんでもできる!勉強しなくていい!」
と思っただろう。
それは、きっと、私が日本の学校が少し苦手だからだろう。

しかし、今、カナダにいる私はそんなふうに考えていない。
「休みが増えちゃった。どうしよう。課題もそんなに多く渡されていないし、することがなくなっちゃう。ずっとホストファミリーとテレビばっかり見ちゃう。」
なんて考えているのだ。

学校に行くことが当たり前だった私にとって、この状況はとても難しいのだ。
エージェントからは「Stay home」と言われて、必要なければ家から出ることもできない。友達に会うこともできない。学校も閉まっていて、学校に行くこともできない。

今まで『当たり前』にできていたことが、突然そうではなくなってしまったのだ。

そんな中、Webを通して、クラスミーティングが行われた。

そこで、『一時帰国・中断の可能性があること』を聞かされた。

今の私にとって、『カナダの学校に通うこと』が当たり前なのだ。
「10ヶ月、辛くても学校に行って、頑張るんだ」
そんな気持ちで頑張ってきた。そして、これから頑張ろうと意気込んでいた。
留学が終わるその日までは、『学校に行って、友達と話す』、そんなことを当たり前にしたい、と思っていた。

そこに「早く留学が終わる」、そんな可能性が出てきてしまった。

このまま休校期間がどんどん長くなって、そのまま留学が終われば、私は友達に別れも告げれなくなるのだ。

毎日を同じように過ごせることは当たり前だとずっと思っていた。

でも、そうじゃないことを改めて感じた。

先生は、『ピンチをチャンスに』と言った。
今しかできないことがある、と言った。
こんな状況だからこそ、どうポジティブに行動するかが大事だと言った。

そして、『当たり前は当たり前じゃない』と言った。

当たり前であることに感謝しなさい』と言った。

私は「本当にその通りだ」と思ったから、このnoteを書くことを決めた。

「当たり前であることに感謝を」

という言葉はもう何度も聞いたことがあるが、その中で最も今の瞬間がその言葉に納得させられた。
今までは「感謝って言われても、当たり前は当たり前だもん」と思っていた。
でも、今は「当たり前がある生活ってすごいことなんだ」と思っている。
「当たり前に感謝することを『当たり前』にしたい」と思っている。

今の世界情勢は、私にとって、関わりのないものではないと思っている。
海外で生活しているし、これからカナダや日本がどのように動いていくかで私の生活が変わっていってしまうから。

少し追い詰められた状況であるからこそ、
『1分1秒を大事に』生きたいと思う。

ときでした。
またね。

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