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好きなこと

好きなこと。と、できること。と、やりたいこと

私の場合、好きなことと、やりたいことはほとんど一緒で。
できることは、好きなこともあれば、好きじゃないこともある。

私は、好きなことがたくさんある。
やりたいこともたくさんある。

私は、アニメが好き。
漫画が好き。
映画が好き。
映像を作るのも好き。
絵を描くのも好き。
少ししかまだできないけれど、プログラミングだって好き。
Webを作るのも好き。
写真を撮るのも好き。
デザインもちょっと好き。
メディアアートが好き。
好きな曲を耳コピするのが好き。
ピアノを弾くのが好き。
サックスフォンを吹くのも好き。
音楽を聴くことが好き。
本を読むのが好き。
本を書くのも好き。
勉強が好き。
英語が好き。
歴史も好き。
理系の教科だって、得意ではないけれど、好き。
文系だって、上手くいかない教科もあるけれど、好き。

私は、今までやってきたこと全てが好きなのかもしれない。
私は、やってみればなんでも好きになるのかもしれない。
学べば、なんでも好きになるのかもしれない。

そんな私は、気がつけば、好きなことが増えすぎていて、今、こうして、何が一番好きなのかわからなくなってしまった。

「一番」を決めるのは大事じゃないかもしれない。
全部「一番」でいいのかもしれない。

だけど、好きなことがたくさんありすぎて、そして、これからも増えていきそうで、私はどうすればいいのかわからなくなる。

だけど、好きだから、と言って、そこまですごいことができるわけではない。
技術がない人より少しできるくらいで、私の周りには私以上にもっとできる人はたくさんいる。

好きだけど、うまくできないこともある。

これから進む道は、「好きだから」と言って、簡単に、自分が進むべき道を決めてはいけないと思っている。
「好きだからやりたい」の気持ちが大事なのはわかっているけれど、
そればっかりで進んだら、きっと好きじゃなくなる日が来てしまうと思う。

好きなことをやっていると、色んなことが見えてくる。

例えば映像。

私は、映像を好きにならなかったら、
どうやってアニメや映画やドラマが作られているか知らなかったし、興味すら持たなかったと思う。
好きになってから、「こういう風に作られているんだ。」と知るようになって、
それから、見るもの全て、「どういう風に作られているんだろう。」と考えるようになった。
好きになって、そして少し学んでみて、
でも、周りを見ると、もっとできる人はたくさんいた。

好きなことをやってみて、物の見方が変わった。
好きなことをやってみて、周りの凄さに気づいた。

私は、私に込められた、「可能性」をずっと探していて、
これまでたくさんのことをしてきて、
やっと、これだ!と言うものに出会えて、
そして、やっと周りの凄さに気づいたのだ。
そして、それは、私の視野を狭めて、私を苦しめた。

「楽しい」や「好き」だけでやっていては、きっといつか限界がくると思う。

周りの凄さに気づいて、それでも「私らしく」頑張ろうとしても、きっとどこかでそのすごい人たちと比べてしまうと思う。

だけど、好きではない物はもっと早く限界が来てしまうと思う。

だけれど、私はどうすべきなのかわからない。

今は好きじゃなくても、学んでいけば、好きになるものもあるかもしれない。
今は好きでも、突き詰めれば、好きじゃなくなるかもしれない。
今も好きで、未来でも好きかもしれない。
今も好きじゃなくて、未来でも好きじゃないかもしれない。

だから、少しでもそれを知りたくて、今までいろんなことをしてきて、結局私は、いろんなことを好きになってしまった。

「やりたいことやってみて、もしやりたくない、好きじゃない、って思ったらやめればいい。」

そう言ってもらったことがある。
「やめる」のは勇気がいると思う。もし今やっていることの中で何かやりたくない、好きじゃないことがあったとしても、私はそれを認めないと思う。「やめる」ことが怖いから。

そして、それがもし大学の進路になるのなら尚更。
もし、大学で学んでいる途中で、「やりたくない」「もう好きじゃない」となっても、簡単に変えることができるわけじゃない。やめることができるわけじゃない。

好きってなんだろう。
私は、どこに向かっているんだろう。


ときでした。ばいばい。

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