時間がない病に追われてないか?
なんとなく、「時間がない」と思って焦燥感に襲われることがあります。
性格のせいかもしれないです。
せっかち、合理主義、のんびりできない。
こう書くと自分めちゃくちゃせせこましくて、書くのやめたくなりそうなんですけども。(笑)
昔読んだ『モモ』という本に『時間泥棒』という言葉が出てきます。
知らない間に時間が盗まれていて、人々がせかせかと生活しないといけなくなる。という。
そうすると生活において「余白を楽しむ」みたいなことを忘れてしまうんですよね。
なんだかこれって現代の私たちのことを言われているように感じてしまいます。
こんなにもたくさんのものが自動化されて、昔よりよっぽど自由な時間があるはずなのに。
「忙しい」「時間がない」
いつもそう思ってる気がする。
最近は、コスパならぬタイパなんて言葉も浸透してきていて「より効率的な時間の使い方」を自然と若い世代を中心にみんな求めているんだそう。
動画を倍速で見たり、tiktokとかのショート動画が流行っているのもタイパが良いからなんだとか。
でも、そもそも、
何にこんなに追われているんだろう?
多分、実際時間がないわけじゃない。意識してみれば、ぽっかり空いた謎の時間っていっぱいあるんだと思います。
なんとなく、SNSを眺めて何を発信するわけでもない。興味もないテレビをみて内容を受け流してたり。
無意識に「楽しさ」「刺激」を求めて、画面の向こう側にある何かを探しているのかもしれない。
そうしているうちに、何にも満たされないままうっすらとした欲求不満だけが残る。
そういう時、私は思い切って液晶から離れて窓を開けて外の音を聞いてみる。お香を焚いて香りに意識を向けてみる。散歩に行く。
そんなふうにイメージの中から、より五感に集中できる何かに取り組むと、その漠然とした、うっすらした欲求不満がましになったりします。
「もっともっと」と求め続ける心が、時間泥棒の餌になるのかもしれない。
時間なんて本当はたくさんあるはずなのに。
タイパに関する記事を書いていたら、なんとなく、今日はそんなことを思いました。
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