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就活を1からやり直そうと思った。でも

何かモヤモヤすることがあった時、必ずnoteを開いている気がする。
書いていくうちに、なんとなく心が整理されていって、次のステップが見えてくる。
プロ級の三日坊主の私がnoteを何ヶ月か継続できているのも、それだけモヤモヤを感じているからなのかなと。多分生きていてモヤモヤを感じることがなくなったら、私がnoteを書くこともなくなるのかな、と思ったり。

ただモヤモヤばっかり書いてるせいで、私の記事の内容って、基本的に暗い。時々読み返すと、自分でもちょっと引いちゃうくらい暗い時がある。
noteは自分の精神状況を映し出す鏡みたいなものだなとふと思う。

本題。
私は今自分がどうしたら良いのかわからない。

正解がないことは分かっている。
ただ私にとっての最善がわからなくて、悩む。

前回のnoteで、就活10ヶ月目にして、何もかもがよくわからなくなり、就活を放棄した、みたいなことを書いた記憶がある。
ちょうど3週間くらい前、これというきっかけはなかったのだけど、溜まりに溜まった就活のストレスで精神を蝕まれ(なんか一時的に手の甲にアトピーみたいなのもできた、怖い)、将来について考えることを放棄し、自分の部屋の机に座ると就活やら面接やらを思い出してしまうので怖くて部屋に入ることさえできず、しばらくひたすら気が向いたことと好きなことしかしないという毎日を過ごした。

結果、バイトもせず(就活頑張ろうと思ってお休みしてた)、家族が働いている中で、好きなことばかりしている自分に対する情けなさと、お金がなくなっていく不安と焦りで余計に病んだ。
好きなことだけやってたら幸せという人もいるのかもしれないが、私は「自分はなんて生産性のない人間なんだ」「誰の何の役にも立っていない。存在価値がない」と罪悪感を感じてしまい、無理だった。
しかも、街に出かけたりもしたけど、どこいっても「働いている人」で溢れている。気分転換をするつもりだったはずが、どっかの缶コーヒーのCMじゃないけど、「世の中って、全部誰かの仕事で出来てるんだな」と実感せざるを得なくて、そう考えると「働いていない自分」の姿が浮き彫りになって辛かった。

毎日泣いた。
毎日起きると目と顔が浮腫んでいて、大変だった。
食生活も乱れて、ちょっとだけ痩せた。

で、もう私一生元気になれないの…?と思っていたこともあったけど、結局今は色々あって元気になってる。
いろんなことに意欲が湧くようになったし、とりあえず消えたいみたいなことは考えなくなった。自分の部屋にもいられるようになった。よかった。
人に相談することって大事なんだなと痛感。

元気になってから色々考えて、就活を1からやり直そうという結論に至った。
本当に1から。
志望業界、志望職種、就活の軸、全部まっさらなところから再スタートしようと思っている。

なんでそうしようと思ったかというと、これまでやってきた就活は2つの点で失敗していたから。

①「やりたいか」ではなく「できそうか」で考えていた。
②色々な「こうするべき」に縛られ過ぎていた。

①について。
私はずっとベンチャー志望だった。
なぜなら、長期インターンをしていたスタートアップの人数が少なくて、みんなで一体となって頑張るぞ感が好きで、ただスタートアップだと色々整ってなさすぎて不安だなと思ったので、それよりちょっと規模が大きめのところが良いかなと思ったから。
就活していくうちに、「ベンチャーは成長スピードが早いから」「色々なことに挑戦できるから」みたいな理由も、付け加えられた。

でも、それって本心?って今になって思う。
そもそも、大手とか外資とか、他の選択肢と比較検討してベンチャーを選んだわけではない。
大手は倍率高くて難しそう、外資は英語ができないから多分無理と心のどこかで思っていたのを、「大きい会社は体質古いから〜」とか色々自分に都合の良い言い訳で覆い隠して、自分がベンチャーを目指すことを正当化?していたように思う。
それに、「ベンチャーは成長スピードがはやい」「色々なことに挑戦できる」みたいなことも、別に私が自分で考えたことではなかったなと思う。どこかの大人が、「成長環境が大事だよ」「若い時にどれだけ打席に立てるかが大事だよ」みたいに言っていたことを、「へえ〜そうなんだ」と思いながら、さも自分が考えたかのように、自分の中に取り入れてしまっていたなあと、振り返って感じる。
なんとなく、私に手が届きそうなのが、「できそう」なのがベンチャーだった。(ベンチャー舐めてますよね、すみません)
そんな選び方で本当に良かったんだろうか?

やりたいこと、叶えたいこと、興味があることがあって、
それを実現できる手段が存在するなら、とりあえず挑戦してみるべきだと思う。
でも私は、多分失敗するのが怖くて、自分で自分に蓋をしていた。
無意識のうちに、私には無理だ、関係のない世界だ、と思ってしまっていた。
そう思うと、私の人生って悲しいなとふと思った。
日本の新卒採用は、ありがたいことにポテンシャル採用。自分の能力に関係なく、やりたいと思ったことに挑戦するチャンスがみんなに与えられているし、私はそうやって好きなこと、やってみたいことに飛び込んでいける資格を手にすることができていて、本当に恵まれているなと思う。
せっかく自分にそんな資格があるのなら、もっと「やりたい」という気持ちに忠実に、就活をすれば良かった。
できるかできないか、向いてるかどうかなんて、あとから考えればいい話だった。そう思った。
けれど、幸い?私はまだ就職先は決まっておらず、まだ1年間の猶予がある。今は4月という、就活をやり直すにもギリギリ23卒として就活ができてしまう超微妙な時期なのだけど、まだやり直すチャンスがあるなと、そう思った。

そして②について。
色々なこうするべきに縛られていた、というのは、簡単に言えば「レールに敷かれた人生を生きてきたな」ということ。
私は以前のnoteで、「レールに敷かれた人生かもしれないけれど、平凡な人生だけど、私はそれでも幸せだからいい」みたいなことを偉そうに言っていた。「平凡な人生に悩んでいたけれど、そういう考え方もあるんだと思って元気をもらった」というコメントも、ありがたいことにいただいてしまった。
でも、改めて考えると、本当に何も考えずにレールに敷かれた人生生きてきたな私、と思う。
与えられたことを一生懸命こなす生き方。自分で道を作っていくことができない。誰かが通った道を取るしか術がない。
今だって、私の目の前には無数の選択肢が広がっているのに、「ホワイトカラーの正社員」になるしかないと思い込んでいる。
大学3年生になったら、就活を始める。就活も、みんながやってるから、そういう時期だから、始めた。就活をすることを自ら選択したわけではなかった。

ずっと「やりたいこと」なんてないなと思ってたけど、本当は私の中にはやりたいことがたくさんあった。
人生何でも思い通りになるとしたら?
大自然の中で暮らしたい
農業がしてみたい
いつかみた映画みたいな農場を作ってみたい
ものづくりをして生活したい
イラスト描いたり雑貨作ったりする作家になりたい、それで個展を開きたい
北欧に行ってみたい
スペイン巡礼に行きたい
いつかやろう、と思ってきたけれど、いつやるんだろう?
このまま順当に、"優等生"な人生を歩んでいけば、今挙げたものたちを実現できる可能性は限りなく少なくなる。
本当にそれでいいの?

そんなこんなで、一回本当にまっさらな状態から、
自分の将来について、ちゃんと考えてみよう。
直感も論理も、どちらも大切にしながら、
自分が歩むべき道なんて考えず、「就活」という枠組みからも外れて、自分の気持ちに素直に将来のこと考えよう。
というふうに自分の中では落ち着いた。

だから、タイトルには「就活をやり直す」と書いたけど、就活に限らず自分の人生見直そうと思っている。
壮大な話になってしまうけど。

ただ、「自分の人生を見直そう」と考えた時に、また別の問いが降りかかってくる。
そもそも私は、今就活をしたいのか?
今就活をすることが、私にとっての最善なのだろうか。
この問いに正解はないので、あえて最善という言葉を使う。

と、続きを書こうと思ったけど、眠いのと頭が回らなくなったのとで、とりあえず今日はここまでにする。

あーこうやってぼーっと考えている間にも時間は過ぎていくんだなあ。
どうにかなると思ってるけど、本当にどうにかなるんだろうか。
前に進めるのかな。ずっとこのままだったらどうしよう。
怖くなってきた。

恐れ入ります。