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フロック


日本ダービーを見ていて、
やはり思い出す馬は多いけれど。

以前、2冠馬として書いた
ミホノブルボンと同様に、
サニーブライアンもやはり
逃げ馬だった。

競走成績 10戦4勝。
成績はそんなにパッとは
しないのかもしれないが、
1997年のクラシック戦線を
見ていた人であれば、
はっきりと覚えているはずの
競走馬である。

「これはもう、フロックでもなんでもない!
2冠達成!!」

当時フジテレビの三宅アナの
この実況は有名である。

サニーブライアンは
単勝6番人気で
日本ダービーを迎えたが、
前走の1冠目の皐月賞は
11番人気であった(結果は1着)。

なぜこのような事前評価であったか
というと、
・逃げ馬としてそこまで
 成績が安定していなかったから
・差し、追込み脚質の馬(メジロブライト等)
 が牽制しあった結果が皐月賞であったから
などの理由が挙げられる。

しかし、
日本ダービーが
中山競馬場よりも直線が長い
東京競馬場の開催であることを
考えると、
(皐月賞は中山競馬場の開催)
サニーブライアンは
逃げ馬として、
決して有利ではない
ダービーの方でより
強い勝ち方をしたのだから、
その後の骨折がなければ
もっと強い結果を残していたのかも
しれないのである。

そう、
フロックでも
なんでもなく、
サニーブライアンは
強かったのである。

騎手の大西直宏は、
ダービーの勝利後、こう答えている。
「1番人気はいらないから、1着だけ欲しい」

秋に3冠目の菊花賞制覇
が期待されたが、
ダービーのレース中に
骨折していたことが判明し、
以後ターフに戻ることはなかった。
(ちなみにだが、このダービーには
サイレンススズカも出ている。
この時点で逃げ馬として先輩だったのは、
サニーブライアンの方であった)

サニーブライアンの勝利に関しては、
他にも様々な逸話があるのだが。


競馬に限らないが、
なにか因縁めいたことを
目にすると、
やはりそういうものがあるのかな
と感じてしまう性質である。


偶然かもしれないけれど、
そう思ったりすることの方が、
かえって夢があると
感じたりは
しないだろうか。







以上

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