『報酬主義をこえて』を読んで
『報酬主義をこえて』。この本はなかなか面白い。20世紀を代表する心理学者B・F・スキナーは「罰なき世界」を理想の世界として提言し、そうした言い方を捩って、本書は「報酬なき世界」を提言したと言えるだろう。
報酬は役に立たない、それどころか害になる。
これが本書全体を通して主張である。なぜこうした結論に行き着いたのか。それは、報酬は物事に対するやる気を高めないし、むしろ損なうからである。これには二つの説明が有効だろう。
一つは、何か他の目的のための手段として提示されるものは魅力が減少するという説明である。「これをすればあれをあげるよ」と言えば、関心は「これ」ではなくて「あれ」に行ってしまう。これはなんとなく理解できるところだろう。
もう一つは、報酬によって「コントロールされる体験」が人のやる気を下げるという説明である。人は「させられている」という感覚を嫌う。人は自分が為す行為の原因であろうとする。人は自分が為す行為の原因ではないと感じると、その行為に対するやる気を下げてしまうのである。報酬は人に、自分は行為の原因ではないと感じさせ、やる気を損なうのである。これも理解できることだろう。
報酬の効果は、活動への熱意を押し殺してしまうことにある。本書では、この現象をどんな研究にも劣らずうまく捉えた古いジョークが紹介される。
それは学校帰りに家の前を通りかかる悪童どもに毎日悪態をつかれていた老人の話である。
こうしたエピソードから学べることは、「報酬を出すということは何かに対する興味をわざと減退させるための巧妙な戦略」(p.107)であるということだ。これは、何百万人というわれわれが報酬を与える相手に対して、意識するとしないにかかわらず、していることである。つまり、買収して、させようとしていることそのものに対する興味を殺してしまっているのである。
こうして外発的動機づけ要因が蔓延し、常態化すると、私たちは「精神のエネルギーを新しい方向に向けても、それによって何か外発的報酬を獲得するという見込みがなければむだだ」と感じるようになると著者は言う。それはつまり「生を楽しむことがもはやできなくなる」ということだ。
報酬を用いることはもうやめなければならない。それは、報酬の害を認識する者ならだれでもわかるようなことである。しかし、報酬はなくなりそうもない。それはなぜなのか。
それは報酬が報酬の使用を正当化するから、と説明できる。報酬は物事それ自体に対する魅力を下げ、モチベーションを下げる。その後は、その物事に対するモチベーションが下がっているので、その活動をするのに強制(報酬)が必要になる。このように、コントロールはさらに大きなコントロールの必要性を生み出し、そのことがコントロールの使用を正当化するのである。こうした循環が報酬を生き延びさせる。「そもそもそんなふうにさせたのは、最初に報酬が使われたからこそなのだ!」(p.123)
スキナーは罰なき世界を提言したが、本書を読めば「罰なき世界」の不十分さを指摘できる。罰だけでなく報酬もいらない。罰も報酬もない世界こそが理想の世界である。
報酬なき世界を生きたいものだ。それは、誰の命令にも屈従しない世界である。それが言い過ぎならば、誰かの命令に屈従する必要のない世界である。モチベーションを削がれることなく、好きなことができる世界を生きたいものだ。
いろいろと書いてみたが、とりあえず、読んでみてほしい。報酬は何らかの点で必要だし、正しいと思っている人に特におすすめする。400ページを超えるボリューム感のある本なので、きっと読みごたえがあると思う。正直、高い値段なので、図書館なりで借りることをお勧めする。自分はそうした。
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