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【臆病者の決意】 西村謙兵

東海大学文学部歴史学科の
西村謙兵(テツ)です。
チームで1番シュートが上手く、いつも自主練に付き合ってもらっている亀井くんからの襷を繋ぎます。
どうぞよろしくお願いします。

17年間続けてきたサッカーに区切りをつける日が迫ってきました。これまでの長いサッカー人生を振り返ってみて、自分自身と真剣に向き合いました。
それにより、自分にとってサッカーはどういったものだったのか改めて考えてみて、自分の本当の姿が見えたので、今回はその事について文書にしました。
良かったら読んでみて下さい。

幼稚園年長の頃、私はサッカーと出会った。
どういった経緯で始めたのかは覚えていない。ただただなんとなく続けていたサッカーだったが、小学3年生の時、私の心に変化が起きた。
2006年ドイツワールドカップで、ベッカムやジダン、ロナウジーショなど、スター選手のプレーをテレビで釘付けになって見た。
全試合の結果を全部覚えるくらい見た。
私はサッカーの虜になっていた。
気付くと私も、プロのサッカー選手になるんだと強く想うようになった。
しかし、その気持ちとは裏腹に、私は試合やチームの練習が大嫌いだった。疲れるし、ミスが怖いし、自分のせいで負けたらどうしようと、心の中で思っていた。試合の前は全く食べ物が喉を通らなかったりするくらい。これは大学生になった今でも変わらないこと。さすがに食事はまともに出来るようにはなったが、試合、練習は自分にとって地獄のような存在。
だから、試合がしたいなどという皆が私には理解が出来なかった。
ここまでで分かるように、
そう、私は臆病者だった。

こんな私だったが、プロの夢を追いかけ、中学は私立の東海大翔洋中に進学し、中学卒業後は、地元の静岡を離れ、遠い福岡の東海大福岡高校に進んだ。
あえて厳しい環境に身を置き、自らを追い込んだ。
中学では、あと1歩のところで、自分のとんでもないミスにより、全国優勝を逃した。
高校では、高すぎる壁の出現により、屈辱を味わった。
大学に入っても、自分を信じてサッカーを続けた。
大学に入る前、父に、
「大学でもサッカーをやらせて欲しい。その代わり、絶対プロになって、いつかは清水エスパルスに入団して、IAIスタジアムに連れていく」と大口を叩いた。
あの時から、もう4年が過ぎようとしている。
大学に入っても、プロとは無縁の生活をずるずると過ごした。
弱い自分が嫌いで、ヘタクソな自分が嫌いで、何回も泣いた。
この17年間、光を浴びたことは1度も無いし、地獄のような時間だった。
それでも私がサッカーを続けたのは、試合が嫌いな自分より、プロになりたいと想う自分の方が強かったから。
だからあの時、地元を離れる決断もできたし、嫌なことも乗り越えられた。
どんな時も、自分を信じてプロの世界を目指し、自分にとって辛くなる道を選び、進み続けてきた自分を、心の底から褒めたい。

そんな私のサッカー人生も、残りはあと1試合のみ。
自分にとって最後のサッカー。
そして、共に戦うチームメイトの皆にとっても最後のサッカー。
フィールドの1番後ろにいる人間が、こういうことを言うのは良くないかもしれないけど、今日は私の日だからいいかな。
ちょっとは格好つけてもいいかな。
皆の最後を笑って終わらせるためには、ゴールキーパーである自分がしっかりしないと
そう考えるだけでも不安と恐怖で押し潰されそうになる。
でもそれがゴールキーパーというポジションだし、それが分かっていて始めた。
だから、最後の試合、
どんな結果が待ち受けていようと、俺は下を向かない。
どんなに逃げ出したくなるような状況に追い込まれても、俺は逃げない。
臆病な自分とはおさらばだ。
最後まで全力でプレーする。
皆の為に。
家族や、地元で応援してくれた人の為に。
そしてなにより、
自分の為に。


次回、、、
炎のストライカー現る。
心に秘めた大きな想いを胸に、常に全力で突っ走る、男の中の男、石井豪の心中にせまります。
GOGOCHANCE!!!





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