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コロナ禍の中のバズり体験

Twitterを始めて約1年2ヶ月。
1万超えのバズりは過去に3回体験してるけど、今回は超ド級のバズり体験。
21万を超えるいいね♡

インプレッション、驚異の1061万超え…(2020.5.3現在)

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コロナ禍。
2020年2月末のいきなり小学校休校に始まり、4月は緊急事態宣言で親も在宅勤務が本格化し、世の中 STAY HOME 一色。
3月、新小2男子(当時小1)は終日学童で過ごし、新年中男児(当時年少)はいつも通り保育園で過ごし、わたしは都心への出勤を続けてきたのだが、4月の緊急事態宣言以後、わたしは当面の間在宅勤務となり、子どもたちも学童保育園原則休みで家にいる(夫は週2日ほどの在宅勤務と週3日ほどの通常出勤)。
そんな状態で1ヶ月過ごしている。

フルの在宅勤務をしながら、子どもたちの世話をしながら、家族に1日3食を提供するのは非常につらい。
「お昼ごはん」の提供がつらい。
何より、コロナ禍の今は「外食」という選択肢がないのがつらい。
給食があって、外食があって、おかあさんの作るごはんもある。
そんな日常が失われてしまった。
最低でも週1は外食していた我が家。ファミレスやラーメン、回転寿司など、子どもたちはとても楽しみにしていた。
給食も外食もなく、ずっと家でごはんを食べるのは親子共々とてもつらい。
おかあさんも、都心のランチが恋しい毎日。

「おかあさんが作ったごはん飽きた、と言われても、おかあさんはごはん作るのとっくに飽きてます」はそういうことである。
サラリーマン川柳のノリである。
子の飽きたに斜め上から親が飽きたと返す。
コロナ禍の中で親子で見えている世界が同じようで違う、でも根底にあるのは同じ「自粛疲れ」。
コロナ禍におけるそんな言葉遊び。

ところがどうも、一部の方々には、これがコロナ禍の親子のそんな様子だと読み取ってもらえなかったようで…
以下、コロナ禍を考慮していない方々のリプ&引用RTの一例。

「うちは飽きたなんて言ったらごはん用意してもらえなかった」
「親にそんなこというなんて育て方が悪いのでは」
(うちはこんなこと言い合えるほど親子関係良好です…ほっといてください…)

「おかあさんの作るごはんおいしいから飽きたなんて思ったことない」
(コロナ禍で自粛生活に飽きたことの例示として「ごはん飽きた」を挙げてるだけで…味の話ではないはず…)
「同じものばかり作っているからでは。レパートリー増やせば」
(同じものばかり作るのは子の好き嫌いに合わせてるだけで…レパートリー増やしても食べてくれるとは限らない)

「文句言うお子さんに作らせてみたらいい」
(まだ新小2&新年中なのでできることは限られているし、コロナ禍の自粛生活を我が子たちもがんばっているので今は作ってもらおうとは思わない)

その他、想像の斜め上からのいわゆるクソリプなど…(ここでは省略)。

それにしても、なぜこんなにもコロナ禍を考慮していないリプ&引用RTが多くついたのか?
みんな自粛生活してないの?と思ったり…

これはやっぱり、おかあさんの作る料理については誰もが一言言いたいからなんだろう。身近な話題だからバズった、これに尽きる。

「同じこと言ったことあるけど、一人暮らしをはじめてからおかあさんの作るごはんのありがたさがわかった」
「自分で1日3食作るのマジでめんどくさい」
「帰省するたび母親の料理が待ち遠しい」
「おかあさんいつもお疲れ様です」
「おかあさんありがとう」

そんなリプ&引用RTがたくさんあった。
本来の、愚痴に共感しながらも笑ってもらえれば、という趣旨とは違うけれど、そんなリプに励まされた。
バズり体験、毎回とても勉強になる。

2020年5月4日。今月末までの緊急事態宣言延長が正式決定するという。
もはや、いつまで続くかわからない、子どもたちとの在宅勤務1日3食提供生活。
おかあさんも子どもたちも、みんなみんな、がんばりすぎず、ほどほどに。