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子どもたちの成長とネットでの情報発信の相性の悪さ

2023年度、我が子は小学校5年生と2年生になった。
些細な日常の出来事から学校のこと、勉強のこと、習い事のこと、友達関係のことなど、子どもたちの成長につれてネットでの情報発信の限界を感じた。

以前からTwitter(X)では、未就学子育て中の母親はネットにたくさんいて子育て情報をやり取りしているのに上の世代は全然見かけない、ネットやってない世代なんじゃないか、などと囁かれていたが、実際に自分がその立場になってきていろいろわかってきた。

各家庭、個人、毎日本当にいろいろあって、たとえ匿名でもネットという名の大海原に子どもたちの日々のあれこれ、子どもたちの言動に対して親として感じたあれこれを簡単には流せないのだ。
情報を享受する立場だった頃は、小学校高学年、中学生のお子さんを持つ家庭(特に共働き家庭)のあれこれ、もっと知りたい!流してほしい!と思い参考になりそうな方をフォローしていたが、自分がその年頃の子の親になると、とてもじゃないけど流せない。
むしろ、今まで情報源として参考にして憧れていたり尊敬したりしていたネット上の(リアルでは繋がりのない)人に対して、今まで流してくれたあれこれは匿名でもネットの大海原に流すべきじゃないと思うことすらある。

子どもたちの成長とネットでの情報発信はとても相性が悪い。
子どもたちの人権やプライバシー、親として守らなければ信頼関係は築けないと感じることが増えてきて、若い頃からネットに親しんできた習慣のままに日常のあれこれを匿名でネットの大海原に流して供養したり気持ちを切り替えたりするのは限界だなと思う。
半分は自分の話であっても、もう半分は自分の話ではない。大切な子どもたちの話。

情報発信の限界はどこか。
前にTwitter(X)の相互さんがつぶやいていたことを参考にすると、たとえば子の運動会でお弁当作った、お弁当の写真アップ、はわたしの行動だからOKだけど、子が運動会の徒競走1着になった、はわたしの行動ではないので書くべきではない、というような線引きかなと。
当然、子の成績などは簡単に書けるものではない。

以前からTwitter(X)でわたしの近頃の子育てモットーとして挙げている素敵な歌詞たちを引用する。

わたし以外わたしじゃないの
当たり前だけどね
だから報われない気持ちも整理して生きていたいの

「私以外私じゃないの」より

それぞれひとつのライフ それぞれが選んだスタイル

「One」より

勝利も敗北もないまま孤独なレースは続いてく

「Tommorow never knows」より

もうすぐ2023年も終わり、WMとしての子育て歴も干支一周する。
共働きWMの子育てという、勝利も敗北もないまま続く孤独なレースもそろそろ折り返しか。
子どもたちが成長してきて子育てで愚痴りたいことはもちろんあるけれど、親として最低限守るべきことは守っていこうと思う。
子どもたちのためを思って東奔西走して無駄になっても、報われない気持ちを整理して生きていく。
わたし以外わたしじゃないんだから。
子は子。それぞれが選んだスタイルがある。

それから、今のTwitter(X)は10代となった子どもたちの日常や子育てのあれやこれやを親が語り合う場として適切ではないんだ・・・これは2023年顕著に。
行き場のない思いを抱えつつ、あと10年くらい、自分を信じて子育てがんばっていこう。

Twitter(X)以前から、ネットというのはリアルでは言えなかったり仲間がいないけれど匿名で誰かに聞いてもらいたかったりすることを吐き出せる場だった。
親に対して、友達に対して、恋人に対して、上司に対して、・・・と、対象は変わっていったが、良い話も悪い話もネットの大海原に匿名で流して、リフレッシュして、人生を進めてきた。
が、人生はどんどん進み、人の親となり、社会的地位も上がって職場では部下もいる。
そんな状況にあって、わたしはこれからもネットの大海原に、自分より立場の弱い我が子や部下への、リアルでは言えないけれど匿名で誰かに聞いてもらいたいあれこれを吐き出していくのだろうか。
それでいいんだろうか。いや、否。もうやめだ。
匿名で好き勝手言うのがネットやSNSの醍醐味だった時代は終わったんだ、少なくともわたしの中では。

以上、2024年に向けた決意。