「同じ日本人の目」に苦しめられるのは、もうやめにしませんか?
前回のノートで「発音コンプレックスを手放そう」という件について書いたのですが、
とはいえ、やっぱり「カッコよく発音したいし、カタカナ発音は恥ずかしい」という思いを拭い去るのは、なかなかに難しいと思います。
なぜ「発音コンプレックス」が手放し難いのか。
それは、「同じ日本人の目」ではないかと、私は思っています。
日本人って、他所(よそ)様には寛容なのに、身内にはむちゃくちゃ厳しい。
それが家庭というミニマムな場所から、学校や会社というコミュニティ、はては国単位に至る