ミスと開業と私~その1(自己紹介)

1年やってみて

事務所を開いて1年が経ちました。1年目の純粋な売上は200~300の間です。平均より多いか少ないかは分かりませんが、これより少なかった人の話も結構聞くので、最悪ではないでしょう。幸運にも恵まれてどうにかこうにかやってこれたというのが正直な実感です。もちろんそれは幸運だけでもないし実力だけでもないはずなのですが。

ともあれ、何にしても1年はやれました。なので、期末の棚卸代わりにたくさんの反省と今後の糧にするべき失敗について書いてみます。

おそらくここに来た方の多くは、開業を考えておられるか、開業後間もない方のはずです。その、いわば同期の桜(行政書士人生は長いので、1~2年開業がずれたって同期みたいなもんです)である皆さんに、何か参考になればこれほど嬉しいことはありません。

諸先輩方からすれば失笑しかないはずですが、そこはまぁ昔を懐かしんでいただきながら読んでいただければ。いわゆる、赤子笑うな来た道だから、ってやつです。

その前に簡単に自己紹介

生まれは東京杉並区。小学生から千葉の柏というところで育ち、高校卒業後にまた東京に戻りました。両親(と姉)が十勝に移住し老後を送ると決めたのが十数年前。その時は自分が十勝に移るとは思っていませんでした。自分のことで精いっぱいで、両親の終活にまで気は回せませんでした。

大学卒業後の20代を司法試験の勉強に費やしてしまった私にとって、30代はキャリアを一から作る時期でした。最初からこれという道ではなかった分、何度か職を変えたので、その都度やり直しのようなことになったことも多くありました。実を言うと、受験の断念後やさぐれた時期もあって、文字にするには難しいような、切った張ったの世界にもいたこともあります。

ですが、だんだんと老いていく親をほっておくわけにもいきません。時は平等に流れ、現実は容赦なく変わっていきます。母親が後期高齢者の年代になったのをきっかけに、数年前に思い切って仕事を辞めて十勝に移ることを決めました。

移住後は、しばらく姉と飲食店をやっていました。そこそこの繁盛店だったので、このまま飲食の道でもいいかなと思ったりもしていたのですが、姉が体調を崩し閉店。そこでまたしても進路の変更を迫られました。

地縁の全くない土地で、大したキャリアもない中年がどう生きていくか。このままフラフラと生きていくわけにはいきません。ギャンブル全般についてそうなのですが、自分に投資の才能がないことはわかっていましたから、デイトレーダーみたいなこともできません。東京に戻った方がいいのかもしれないと思いつつも両親のこともあります。実のところ十勝という土地もけっこう気に入っていました。

そうだ、行政書士になろう

そこで思いついたのが行政書士試験です。私は意外と人から相談を持ち掛けられることの多いタイプで、もし資格者として相談を受けられるなら、それは報酬の種がそこにあるということになると思ったのです。

食えるかどうかを考えることはあまり意味がありませんでした。食えなければ食えないなりに何とかして生きていくしかないのです。できるところまでやってみて、それから考えればいい。さほど大きな資金が無くてもできるという情報もその決断を後押ししました。

法律の知識は皆無ではありません。飲食店の許可も自分で取ったし、自動車の車庫証明も自分でやりました。かつて身内が貸した金の取立てでは訴訟した上で、その後差押えのために相手方の家を張り込んだことまであります。(これといった資産のない相手だったので、給与を差し押さえるために勤務先を特定する必要があったのです。訴訟や差押手続きはもちろん弁護士に頼みましたが、この話はそれはそれで面白い体験だったので改めて書くかもしれません。守秘義務もないですし)

こういった経験をうまく活用できれば、何とかなるかもという淡い期待はありました。

問題は試験に受かるかどうかです。閉店を決めたのが7月で実際に閉店したのが8月半ば。だいたい4ヶ月の勝負ですね。錆びついた司法浪人時代の知識をベースにできるか自信はありませんでしたが、受からなかったら受からなかったでそこで考えるしかありません。

考えても仕方がないことは考えない、というと聞こえはいいですが、やさぐれた生活をしていると、どうしてもそういうことを先送りにする習慣がつきます。というか、考えなくてはいけないことも先送りにしてしまいます。要は、もともと自分にはそういう生来の傾向があっただけなのかもしれないですね。

試験は幸運にも合格でした。謙遜ではなく本当についていました。試験会場で試験直前に見直したところがほぼそのまま記述で出されたのです。成年被後見人の行為の追認の催告だったかな。問題を見た瞬間、よっしゃもろたでえ、と思いました。獲得点は206点だったので、ここで20点取れたのはかなり大きかったです。没問と合わせれば24点ですから、それがなければ本当にギリギリですよね。

試験の後、自己採点をして記述抜きで170点。記述で10点は取れた手ごたえはありましたが、結果が確定するまではわりともやもやしました。もやもやしたせいで開業が遅れたのは大きな反省です。これも後述しますが、できることはしておくべきでした。

試験対策

話は少しそれますが、TwitterのTLで勉強方法などについて様々な体験談や考え方が出ています。短期合格の秘訣、のようなものも時折見かけます。私は短期合格のような顔はしていますが、司法試験と行政書士試験がかなりの部分で重なっていることや大学も法学部であることを考慮すると、10年近く法学に触れていたことになります。司法試験も択一試験には通るくらいのところまではいきました。

もちろんかなり前(旧司法試験の時代です)の話ですから、当時学んだことは思ったより忘れていました。人はどうしても自分の経験上使ったことを色濃く覚えているものらしく、実生活で調べたことのあった、試験対策としてはあまり意味のない相隣関係の条文などは記憶に残っていました。その一方、行政書士試験で必ず問われる基礎法学などはすっかり忘れていて、リバタリアニズムって何だっけ、というところから始めないといけませんでした。

過去問は5年分を1周しかできませんでしたし、商法と一般教養は完全に手付かずでした。ただ、4ヶ月でそこまでできるはずがありませんから、これは割り切りました。憲法民法行政法で勝負、これが私の受験戦略でした。

結果、一般教養は危うく足切りになるところでした。皆目見当もつかずに山勘で答えたのが1つ当たっていて7問正解。ギリギリです。なのでその反省を踏まえるなら、受験生は、一般教養についてはそれなりの準備はしておいた方がいいように思います。個人情報保護関連とか必ず問われるものがあるので、それくらいはやっておくべきです。

もう一つ一般教養には大事なことがあって、時間をある程度確保しておかないといけないのではないかと思います。文章を適切な場所に補充する問題や、長文の並び替え問題は、時間をかけてしっかり考えればかなりの確率で正解にたどり着けます。その時間を確保できるかどうかで2~3問正解数が変わってくるような印象があります。

何はともあれ、試験についてはそれほど語れることもありません。もとより誇れることもありません。人生は何が役立つかわからないですね、というぼんやりとした話しかできません。

むしろ、試験直後から開業までの振り返りと、開業してから1年目までの振り返りの方がずっと参考になる話になるのではないだろうかと思います。

話がそれたままになってしまいましたが、その話は次回。

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