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「想定外」から生まれる「好奇心」

想定外のできごとはすべて、子どもに初体験を味あわせてくれる。そして、初めて見るもの、触れるもの、体験するものに興味を持つ。だから「想定外」を数多く経験していると子どもの好奇心はどんどんと広がることになる。

その好奇心の広がり方には2通りあるように思う。
MHが想定外の経験を積んだ場所の一つ、横浜の北八朔公園でのできごとをお母さんから聞いたことがある。公園の石をお母さんと一緒に拾い集めていた時のことだ。石も自然の一部だから、一つとして同じ形はないし、スベスベ、ザラザラ、チクチク、と持った時の感覚もすべて違うものだったろう。一心不乱に石を集めていたらしいのだけれど、そこへ一頭の犬がやってきた。北八朔公園は犬の散歩に訪れる人も多い公園だったからね。すると、それまで石に興味を持っていたあなたは集めた石を全部捨てて、今度は犬に駆け寄っていったそうだ。これはほんの一例だけれど、あなたは目の前に花が咲いていれば花に興味を持ったし、池のほとりを歩いているカメに出会ったらカメに夢中になった。落ち葉が舞う音に耳を傾け、氷や霜柱を目の当たりにする。MHは興味の対象が変わると、それまで興味を持っていたものには見向きもせず、新しく興味を持ったものに全集中するタイプ、つまり「好奇心が横へ広がっていく子ども」だった。

MHの3年後に生まれたAZも、同じ様に自然体験を大切にして育ててきたが、あなたは小さなものに興味を持つ子どもだった。幼稚園に向かう途中、急に立ち止まってしゃがみこんだかと思うと、アスファルトの割れ目で咲いている小さな花をじっと見つめることが多かった。一緒に歩いていたお母さんは、その時間を取るために幼稚園が始まるかなり前に家を出ていたそうだ。お母さんに感謝しなくちゃ!だね。
お父さんがあなたを隣に乗せてドライブに出かけると、いきなり「鳥!」って叫ぶ。お父さんがちらっと見ただけではわからず、車を止め、あなたに時間をかけて教えてもらってようやく、はるか遠くの山の上を舞うトンビを見つけることができた。よくまあ、そんな小さなものを見つけるなあと驚かされたものだった。あなたにとっては小さな生き物が好奇心をかきたてられるものだったのだろうね。小さなもの、可愛いものに対する好奇心は中学生、高校生になっても変わることはなかった。「好奇心を縦に掘り下げる子ども」で、ミニチュアの紙細工を作ったり、詳細な絵を描いたり、アクセサリーを作ったりすることをずっと続けている。

このように、同じ親から生まれてきたMHとAZだが、興味を持つ対象とその持ち方は驚くほど異なっていた。「好奇心が横に広がるもよし!」「縦に掘るのもよし!」だ。興味を持って繋がった一本の線が、いずれ横に広がったり縦に掘り下げられたりすることで、さらに好奇心の面積が広がっていくのだろう。

もう一つ気づいたことがある。
それは、MHとAZが小さな頃に身につけた興味の持ち方が、中学生、高校生になっても変わらなかったことだ。小学生になるまでの自然体験で育まれた興味の持ち方、その子ならではの好奇心は大人になっても変わらない。
これはあなたたちを育てていく中で実感したことの一つだ。でも、お父さんが言うまでもなく、日本にはこんなことわざがあった「三つ子の魂百までも」。これから先、自分の進路で迷った時、選択を迫られる時が必ずある。そんな時に自分が小さかった頃、どんな子どもだったのかを思い出してほしい。好奇心を縦に掘り下げるべきか、横に広げるべきか、どちらの選択をしたら好奇心の面積を広げることができるか?今はどちらを選ぶべきか?判断材料になると思う。

さて、想定外をたくさん経験することで育まれる好奇心だが、自然界ではなく人工的な環境でも想定外を経験することはできる。家の中でテレビやゲームなどを通して想定外を経験することはできる。しかし、考えてみてほしい、テレビもゲームも人間が作ったものだ。誰かが考えたものには、必ずその人の限界がある。最近のコンテンツはよくできていて、偶然という要素を取り入れることで想定外を演出しているが、それでも限界はある。
人工的な環境と自然豊かな環境とでは、想定外のできごと、初めてのできごとが、どちらが多いだろうか?比べるまでもないだろう。自然は想定外を通して子供に初体験をもたらし、好奇心を膨らませてくれる存在というわけだ。

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