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神は細部に宿る『山びとの記―木の国 果無山脈』【ほんの雑感】

ここ数年、山と渓谷社の本を読む機会が増えています。
最初に読んだのが、「山びとの記―木の国 果無山脈」というタイトルでした。

たまたまkindleのお勧めかなにかで出会ったのをきっかけに、移動中にも仕事の休憩中にもとにかくむさぼるように読みました。その後もヤマケイにどはまりして現在に至ります。

はったりもごまかしもない

とはいえ、私はそれまで山と渓谷社の本を読んだことはありませんでした。ヤマケイの本といえば、ここで説明するまでもなく、山登りとかアウトドアとか(主に山の)自然とか、そのほかにも学術系とか、そういう内容のもので、はっきり言ってあまり興味のない話ばかりでした。

この「山びとの記」は、炭焼き小屋で育ち、山とともに生きた山林労働者の自叙伝で、山での生活のいろいろな事実が細かく細かく書き留められています。

私はたまにバイクで山に行ったりはしますが、運動も虫も嫌いで、ハイキングとか登山についてはほとんど知識はありません。

ところが読んでいると、澄み切った面白さがじわじわ染み出てくるのでした。

なんででしょう。
考えてみたら、結局は、事実を省略せず書いていることが魅力の源泉になっているのだと気づきました。

山にかかわる人たちとは、上には上がいる世界でしょうから、はったりなんか書いたらすぐにばれるはずです。また自然とのかかわりを生業としている方には、ごまかしでは生きていけない過酷さがあるのだとも感じます。

抜き差しならぬ、ごまかしやはったりが介在しない世界からつむぎ出された文体。だからこそ興味のないはずのことが書かれていても、作者の思いや出来事やエモーションが、世界を越えてすっと入ってきたのだと思います。

記録文学のだいご味を味わえる本と、簡単に言えばそういうことなのでしょう。ヤマケイに秀作が多い理由かもしれません。神は細部に宿るのですね。

あえて利いた風なことをいえば、こういう文は経験さえあれば書けるものでもないです。著者の観察眼と誠実な姿勢に、たしかな目利きをもった編集者が出会った結果生み出された、稀有の作品だと思います。

書き手と読み手の間に欺瞞が介在しない――そういうものを書ける能力を文才といったりするのかもしれません。島崎藤村の「夜明け前」や、夢枕獏の山岳ものなどを読み返してみたくなりました。

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