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DAY NINE / 始皇帝の兵馬俑 #019

西安訪問の最大の目的、秦の始皇帝兵馬俑に来ました。
ここは1974年に出土した遺跡をすっぽりと大きな建物で覆い博物館にしています。つまりこの写真の巨大な遺跡は2200年前に作られたそのまんまなのです。

兵馬俑とは、兵隊や馬の人形ということですが、この人形 一体なんと身長180センチほどあり、これが8000体も出土したのです。しかも、ひとりひとり実在の兵士をモデルに作ったそうで、 一つとして同じ物はないそうです。

八千体あるといわれる兵隊

さて これは一体何のために作られたのでしょうか?
あの世で始皇帝を守るための軍隊を作ったのではないかと云われていたそうですが、 最近になって兵隊だけではなく 芸人や文官などまでが出土していることから、始皇帝がこの世の生活をそのまま来世に持って行こうとしたのではないかと云われているそうです。
広大な中国を統一するという夢を成し遂げた始皇帝にしてみれば、来世もその次もずっとそのままで栄華を極めていたかったのでしょう。

一つ一つ顔も体も違うことがわかります

下の写真、右の方に立て札で示したところが 1974年 この兵馬俑発見のきっかけとなった場所です。
数名の農民がこの場所で井戸を掘っていたところ兵馬俑の断片がみつかったのです。とはいってもそれがなんなのか誰も判りません、多くの農民は祟りがあるんじゃないかと恐れ、そのままにしようとしたのですが、農民のひとり楊志発さんだけが、ここからほんの1.5キロほど先に始皇帝のお墓があることから、もしかすると何か関係があるのでは、と思って政府組織に持ち込み 紆余曲折あるものの最終的にここまでの大発見になったのです。

楊志発さん発見の記念的な場所

​楊志発さんにより発見された始皇帝兵馬俑、今年 2016年5月の連休の際には、なんと一日に10万人が訪れたとのことで、入館料が150人民元(約2500円)、単純計算で入館料だけで一日に2億五千万円の収入になったわけです。

もともとは何もない 寂れた農村から 一気に土地の値段が暴騰したことが想像できると思います。
発見した当時から住んでいた人たちはそれぞれ自分の家を建て、1階はお店にし、農地の一部は政府が買い上げ、一部は駐車場にして観光客用に提供し、博物館周辺にはスタバ、ケンタッキー、マクドナルドなどまぁありとあらゆる有名店が軒を連ねています。それらも賃貸料が地元民の懐に入るわけです。
ということで楊志発さんも凄いラッキーな方ですが、没後2000年以上たった今も多くの人の懐を潤わせる始皇帝とは、いやもう全く凄い人だと思います。

グーグルで兵馬俑関連を検索すると、発見した楊志発さんを含め農民にはほんの少ししか恩恵がなかった的な記事を見かけますが、実際には楊志発さんは今もこの兵馬俑博物館名誉館長であり、アメリカ大統領カーター氏など多くの国家元首達と写真に収まり、いまでこそお年でほとんど博物館には姿をみせないそうですが、発見当初のみすぼらしい姿から年々 ふくよかに若返っておられることが写真でうかがえます。

兵馬俑ではいまも毎日 展示場と同じ場所で修復作業が行われています。

発掘中の兵馬俑

この遺跡がみつかった当初は保存の知識も技術もなかったため出土した像に塗られていた塗料がすべて消えて無くなってしまったそうですが、いまは保存技術が発達し、出土した物はこうやってビニールでラッピングし塗料が飛んでしまうことを防ぐそうです。

出土直後のラップされた兵馬俑
こうやって色落ちを防ぎます

下の写真の兵士像は隣の博物館に陳列用ガラスケースに入った状態で保存されているもので制作時の塗料が鎧の背中部分に残っています。最近 出土した物はこのように色が残った状態で保存されています。

ガラスケースに入った兵士像
当時の色が残っている貴重な像

馬についてはこれ以上ないというほどに丁寧に扱われているのが見て取れますね。

立派な馬

数十年前に来たことのある師匠は、当時と今との変わりように驚いていました。
むかしは野っ原に1号館くらいしか無かったのが、いまや次々に掘り出される出土品を保管するためのいくつもの博物館だけでなく、レストラン、スターバックスやマクドナルドなどの飲食店、さらには土産物屋まである巨大商業施設になっています。

​これらの写真はそれぞれ兵馬俑全体の正面入口、兵馬俑の1号館入口、入場券の表裏です。

兵馬俑全体の正面入口
兵馬俑の1号館入口
入場券
裏面

兵馬俑で出土されたのは兵士や馬だけでは無く、青銅で作られた二台の馬車もあります。
これらは 二千年以上も前に作られたとは思えないほどに精巧で美しく、当時の技術の粋を集めて作ったのでしょう。

青銅の冠という特別展入口
青銅像の各部名称

下の写真は、この青銅の戦車が出土した際の状態写真と、鋳造技術の説明です。
一番上の兵馬俑の写真の場所にこうやって横たわっていたそうです。

出土状態の写真
各部名称
これが2200年前に製造された青銅の馬車

この拡大した写真でみえる青銅製の馬の装飾品は 美しい金銀をリベットや溶接などの高い技術を使って作られていることがわかります。これが2200年以上前の物であることに驚かされます。その頃の日本は弥生時代でしょうか・・・

見事な溶接技術が垣間見えます

もっと多くの写真を撮ったのですが、切りが無いのでこの辺で。
ということで最後は お約束、オヤジの記念撮影です。

ここに降りることができるのは各国首脳レベルしかいないそうです(嘘

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