左右盲と私。

真葛(サネカズラ)と申します。
この話題は、ブログを始めたら一番最初に書こうと思っていたことです。自分のことですが、ぜひ読んでいただけると嬉しいです。


左右盲と私

私は右と左を即座に認知ができません。
もともと左利きだったわけでもなく、利き手の矯正をしたわけでもないのですが、幼少期から他の子のように左右を認識することができませんでした。

幼稚園に通っていたとき、先生の「右に曲がる」「左に曲がる」という指示のもと、床に貼られた養生テープの道を進み、ゴールにたどり着く、といったゲームがありました。指示は聞こえるものの何を言っているのかわからず、大泣きした記憶があります。

どうやって左右を見分けるのか

片手にほくろかなにかがあれば、目印にできるのですが、あいにくそのような明瞭な目印もありません。ですから、自分の手のひらを見て、頭脳線と生命線が「て」というひらがなを成している方が右であると認識しています。すなわち、誰かに左右で指示を出されたとき、私は自分の手のひらを見ねばならないのです。

生活の中で困るとき

やはりなんといっても視力検査でしょう。私にとってはこれが地獄のような時間なのです。事前に手のひらを見て左右を確認し、記憶し、ランドルト環を見て一次記憶である左右と照らし合わせるのです。
さらに、需要供給曲線がテストに出てきた暁には大混乱なのです。まずグラフに左右を書き込んでから解き始めることにしています。


左右盲との向き合い方

「向き合い方」というとすごく大袈裟な感じがしますが、特になにもないのです。確かにハンデであり、一つのマイノリティだと思っています。ただ、勉強が苦手な人、歌うことが苦手な人、運動が苦手な人が存在するように、左右が苦手な人も居ていいのです。

もし、周りに私のような方がいるとき、できれば左右ではなく、目印になる物の名前、または時計の3時、9時などで表現してほしいです。「左右がわからない」ことで、周りに迷惑をかけていることを、少なくとも私は申し訳なく思ってしまいます。そうした思いを減らすためにも、ぜひ協力をしていただけないでしょうか。


さいごに

拙い文章ですが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。私情を綴った記事ですが、ご自身が同じような境遇の方、または周囲にこうした人間がいらっしゃる方の参考になれば幸いです。

私を見つけていただき、ありがとうございました。コメントやスキ、とても嬉しいです。お待ちしております。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?