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私が遭ったある女 アイドルの名前で呼ばれていた年増

私が初めて正社員で入社した会社の先輩でしたが、

某アイドルにそっくりでした。

昭和の、目が大きい男性に人気のアイドルです。

不良っぽい作品のマドンナ役とか。

私は妹の方が好きでしたが。

 

当時、三十路過ぎた女性(今はもう六十前くらいになるのかな)に、そのアイドルのニックネームで毎日呼ぶ係長。

のほほんとしたしゃべり方に、みんな騙されていましたが、

これが曲者でした。

 

同じチームに、私よりも3つほど年下の子がいて、その課でも一番長い為、

アイドル似よりも先輩でした。彼女より一回り以上年下の先輩になります。

これがどうもおもしろくなかったアイドル似。

 

私は間に挟まれるようなポジションでした。

私の前任者が会社一厳しく恐い女性だったのですが、

その方とうまく引き継ぎをしていたため、

年下の彼女は、私を”あの人が引き継いでしかも続いている!”と、思って信用してくれたようで、

いろいろと仲良くしていただき、当時のことは今でも感謝しています。

彼女がいなかったら、すぐ辞めていたでしょう。

でも、その会社のお陰で、忍耐強くなったのかもしれないです。

まさに『あぁ、野麦峠』のようでしたから。

 

そのアイドル似と課長は、海外便での請求書を一桁間違えてしまい、

そのミスを若いチームリーダーに擦り付けて、責任を取らせるために、

管理部(経理や電話取り)に異動させられてしまいました。

元いた部署は、その会社の一番稼ぎ頭の部署だったので、

一番長く働いていた彼女は、身に覚えのないミスと、

突然言い渡された異動に、驚くばかりでした。

まだ二十代前半の彼女には、あれは酷でした。

実は、アイドル似と私は、曲者課長から呼び出され、

彼らの計画を知らされたのです。

私も、まだ二十代半ばでしたし、下っ端で、どうすることもできませんでしたが、

その若い彼女は次第に欠勤が増え、彼氏と結婚するとのことで、間もなく退職しました。

彼女は別の人から聞いていたのでしょう。

最後に私に、

「こんなところにいたら、結婚できなくなるで!」

と、残して去って行きました。

 

もちろん、私もこんな会社にいつまでもいるつもりはありませんでしたが、

当時、母からも、この不景気(就職活動が阪神大震災の年でした。)でやっと決まった職場でしょと言われ、

石の上にも3年、

もう少しキャリアを積まないと転職できないと思い、

絶えました。

 

入社4年目になった時に、社内の業務が増え、社員が得意先に出向しないといけなくなり、

派遣の方々を採用することになりました。

当時の派遣社員は、キャリアがあり、専門技能を備え、即戦力になるという位置づけで、

私も仲良くなった派遣の方々からいろいろお話を聞き、転職活動を進めていました。

そして、目星がついた頃に、希望退職日の2ヶ月前に、曲者課長に申し出ました。

ところが、四十路近くなったアイドル似が、もう一花咲かせたいと曲者課長に先に相談していたらしく、

「アイドル似さんは、あのように綺麗でスタイルもいいから、大企業とかで働けるやろ?(その会社は中小、いや、零細企業でしたが、今は老舗大企業傘下にあります。)

でも、君は、どうせ結婚でもして、パートするような人生なんやし、

(今なら、こんなこと言う男尊女卑上司、訴えれるかもしれません!)

彼女に退職する時期譲って、君はまだここにいればいい。」

そう曲者課長はほざきやがりました。

 

他に仲良くしていた年の近い営業さんから後に聞いた話では、

アイドル似は男友達がやっている飲み屋のホステスになったそうです。

ある意味一花か!と、気の合う同僚と笑って、少しはすっきりしました。

 

アイドル似が私の直属の上司(数人のチームリーダーでしたが)のような立場になったため、

残業代、交通費代を承認してもらうために、書類を提出したのですが、

「営業さんやデザイナーさんならまだしも、

私達は一般事務なので、こういうのは、

だーせーなーいーの!」

と、言いながら、目の前でビリビリ真っ二つに破られたことがありました。

漫画ですよ。


結局、隣のチームの私より3つ年上の方も辞めていて、

うちのチームは先の若い子含め二人辞め、

なぜか3人分の仕事を私がこなしていたのですが、

社長もお気に入りのアイドル似(年増とはいえ、社長からしたら若い)が辞めたのが気に入らなかったようで、

上司や社長、取引先のアイドル似目当てのおじさんから、

私はきつく当たられたり、電話であり得ないクレーム

「前のアイドルさんはいないのかね?彼女だったらしてくれたにのに!」

と、言われたり散々でした。

 

今はあの会社どうしているんだろうと思ったら、

先にも書いたように、その会社は老舗大企業に買収されていました。

 

アイドル似オバサンとは、彼女の退職後に一度だけ、

喫茶店で遭遇しました。

気の合う同僚と会社帰りにお茶しようと立ち寄ったら、

彼女がいたのですが、

パフェをおごってくれました。

まだ二十代でしたが、美人でスタイルはいいけど、

あんな三十代にはなりたくないと、

パフェをいただきながらも思ってしまいました。


彼女から仕事中に言われたことで、もう一つ。

取引している海外の工場から電話がくるのですが、

みんな話せない為、アイムソーリーだけ伝えていたその職場。

(もう30年近く前の話になりますので、今では考えられませんよね。)

しかし、私の前任者が、自作の英会話リストを作っていたのが、

引き出しの奥から出て来ました。

前任者は音大出身で、外国語には抵抗はなかったと思います。

なので、いろんな質問に対する答えのパターンを用意していたのでしょう。

私も英文科だったので、むしろ実践英会話の経験が積めるのでは?

と、ワクワクしながら電話を待っていました。

ある日、管理部のお局(また記事を書こうと思っています。)が、

海外からの電話を取ったところ、アイムソーリー、ボスイズノーと、

ワーワー言えども、なかなか先方が電話を切ってくれず、

パニックになっていましたので、

私がとっさに代わり、帰社後電話させると伝えて電話を終えると、

さも、自分が受けたかのように、お局さんはメモを社長の席に置きに行きました。

その後、私と年の近い営業事務や経理の女性陣も、

基礎的な英語で社長にメモを残し始めた頃、

アイドル似オバサンから、

「誰かさんが余計なことしてくれたお陰で、

海外の電話が増えたわ!」

と、いやみを言われました。

休憩時間、みんながお弁当食べてる横で、

マニキュア(今で言うネイル)を塗りながら、、、

このマニキュアは、夜のお仕事の為と、

後に、営業さんから聞きました。

もちろんその営業さんが通っていました。


私の初めての就職先は、こんなところでしたが、

その後、どん底のまたどん底が出てくるとは、

当時の私は知る由もありませんでした。


当時は、バブル崩壊、阪神大震災があり、

就職活動では、圧迫面接もありました。

希望していた会社は、契約社員という形態でした。

まだ非正規という言い方はありませんでした。

地方銀行に決まった同級生の給料は、

8万円と聞いて、びっくりしたのを覚えています。

スチュワーデスさん(今で言うCA)も、

この頃から、契約社員のような就業形態で募集をしていたのを、

新聞で見ました。


アイドル似オバサンと、後に書こうと思っている管理部お局は、

丙午という年に生まれた女性で、

まさにバブル真っ只中で、

バブルの恩恵を存分に受けたおねーさま方でした。

氷河期世代と合わないわけです。



 

子供の幼稚園時代の3年間(卒園後も継続中)、心的外傷だけでなく、家計のために始めたパート代、高校受験でいうと6校分の入学金くらいになる金額を、あるママ友に搾取されました。ママ友、同僚からのいじめ、ねずみ講ビジネス勧誘に悩まされている方のお役に立てられれば幸いです。