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迷子になろう 悪手について2

多角的に見ようという話。

個人的にそう見えているだけかもしれないが、強くならないひとは将棋を指したとき、感想戦のとき、「わからない」という。強くなるひとは「指したい手」がある。今回はここにどのような差が背後に何があるのか、述べておきたい。


わからないというのは本音だろうが、初めのうちは使うべきではないのだろう。わからないことを深堀りして、わかることを増やさないといけないはずだ。トッププロが語るような、掘りつくしてなお気づく「将棋はわからない」とは全然違う。

たとえば体調悪いなって日には、原因がわからないなりに今日は寝不足だったかなとか、さいきん休み少ないなとか考えて、寝不足だったら今日は早く寝ようと考えるだろう。それと同じ。
悪手を見るときには、間違っててもいいからなぜ悪いのかの理由をつけておこう。そうすれば有益な振り返りができるし、応用もしやすくなる。その悪手は何が悪いのかとか、なぜその手を指したのかと自分に問いかけてみよう。見えていなかった景色が見えてくるはず。これが悪手をよく見るということだ。
目的地があっての迷子なら解決できるけど、どこへいけばいいかわからないのはどうしようもない。当然と思えるだろうが、できているひとは意外に少ない。

さいきん自分で直した例でいえば、「対抗形でさばき合いになったとき飛車を打つタイミングに我慢が利かず悪くしているときが多い」と感じて、実戦でちょうどいい場面ができたら、調整して見直した。すげー細かいけど、自分のレベルはそういう細かい部分を検討して、ようやく数十局に1局生きるか生きないかの改善しかできない。それでも着実に使える知識が増える。
あと、楽に勝てる序盤の流れは覚えておきたいと思っている。でもすぐ忘れる(涙)。

指したい手があるひとは、ことばにしていないとしても、目標を持っているのだろう。そのぶん優れているわけだ。それでも自分の悪手を俯瞰的、多角的に見ても損はないので、頭打ちになったときにでも試してみてほしいと思う。

さいきん麻雀プロが将棋をやる動画を見たが、適切な反省はできていなかったように思えた。そのくらい、意識しないとできないのではないか。


ちなみにこういう風に2つに分けるとき、私はだいたい強くならない側なのですね。だから自分は素質がないと思っているし、同じ素質のないひと向けの話をしている。
ほかの記事を追ってもらうとまた言ってるとなるだろうが、私が普通に将棋を指すときには、どうやったら勝てるか状況を見て、目標を設定して、目標に沿った手を探し、致命的な問題がないか確認するときにだけ読みを入れる。だからいわゆる「3手の読み」もほとんどできていない。
それでも、それなりに勝てるんだよと言いたいわけだ。

ということで、次は好手を指そうと踏ん張るよりも、普通を目指そうという話をする。抽象的なトピックの終わりになるだろう。

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