この現実は夢じゃない【交換留学】
今、外国にいる。
日本で大学3年生を終えて、1年間の交換留学をはじめた。
勢いだった。
もともと、視野の広い海外志向とか、明確な目標とか、立派な夢とか、そんなたいそうなものがあるわけではなかった。
むしろ、私の日本でのこれまでの大学生活は、“大学生らしい”華やかなものではなかった。
コロナのこともあり、家にとじ込もって画面と向き合っているだけの時間が多かった。
せっかく登校できるようになっても、馴染んでない教室の中で何だか気後れし、隅に座っていた。
結局は、違う大学に通っている高校時代の友だちとファミレスに行き、それぞれの近況と愚痴を言い合ったりするのがオチだった。
見えるはずのない未来について不安を抱えながらも、何をどうガンバっていいかもわからず、ただ漫然と日々を過ごしていた。
大学3年生になって、新しい先生との出会いがあった。
その先生は、大学にあまりいないタイプ(私の偏見に基づく)の快活でポジティブな人だった。
私はその先生と話す機会に恵まれ、あるとき、留学を考えていることについて話してみた。
この先生ならきっと「いいね」と賛成してくれるだろうという期待を込めながら。
「留学してみたいと思っているんですよね。」
私がそう言うと、やはりその先生は「いいじゃん!行きなよ!」と背中を押してくれた。
私が留学を考えたのは、ただ現実逃避をするための方法としてだった。
留学を申請する書類を作り、必要な手続きを粛々とすすめた。
そして、本当に留学することが決まった。
実感はわかなかった。
私は留学先の国にこれまで一度も行ったことがなく、そこで生活する自分のイメージを膨らませる術もなかった。
また、留学が決定したあとも変わらず欝々としていた自分には、期待や不安の気持ちを感じる心の豊かさも不足していた。
ただ無心で準備を進め、周囲の人に「楽しみだね~」と言われたら「ははは、そうですね~」などとよく出来ているのかもわからない愛想笑いで返しているうちに、出発の日がやってきた。
私は荷物を詰めこみすぎたような気がするスーツケースを引きながら、ただ、未知の国で自分がどう過ごしていくかを考えていた。
飛行機は、私を新しい場所に運んだ。
初めて私がこの国の土を踏んだ日も、人々は優しかった。
街中では、私が重いスーツケースを運んでいるのを、さりげなく手伝ってくれた。
基本的に言葉数が少なく無愛想だけれども、優しかった。
私はなんとなく、この国で生きていけるような気がした。
生きていってもいい、という気がした。
スーパーの店員さんの言葉はとても早くて、全く聞き取れなかった。売っている野菜や果物は、日本のそれとはまあまあ違っていた。街の風景は日本と似ているようで、でもやっぱり、違った。
私の目や耳に、とにかくこれまで私が感じてきたものとは違う出来事や景色が、飛び込んできた。
こうして、私の留学生活が始まった。
私は意識しないうちに、この新しい環境下でどう暮らすかについて、少し指針を定めていた。
「様々な人に恥ずかしがらずに接する。様々なことに臆せず挑戦する。そして思い出を沢山作る。」
こうした目標をほとんど無意識に抱えながら、私は私なりにがむしゃらに、1学期を過ごした。
楽しいことばかりではなかった。
言語の実力が足りなくて気まずい思いをしたこと、慣れない文化やコミュニケーション方法の中で困惑することも多かった。
それでも自分なりに挑戦したことがあれば、そのたびに自身を誇りに思い、小声で自分を誉めていた。
私は自分が思っていたよりも活動的で、好奇心溢れた面があるということに気づいた。
友だちもできた。
これまで互いに異なる環境で生きてきた友だちとは、勿論、合わないなと感じることも多い。
それでも、そういう思いがある分だけ、気持ちが通じたときや楽しい記憶を共有できたときは、とても幸せだった。
この幸せを感じるたびに、この現実は夢なのではないかという思いがよぎった。
それくらい、この留学での出来事は、自分にとって新鮮で、不思議で、豊かなことばかりだ。
異文化のなかで生活し、人と関わり、これまで知らなかった自分の感情や価値観をみつけることができた。
同時に、自分がこれまでの人生で経験した出来事や出会った人、あらゆる思い出を大切にしたいという気持ちが深まった。
これまでの経験や、自分のまわりの環境、数えきれない支えがあったからこそ、私は留学し、新たな感情に触れることができている。
そして現実的にも、自分が海外で生活することができているのは本当に当たり前のことではないと、改めて思う。
この留学経験が、社会的に“役に立つ”のかどうかはわからない。
“たかが”1年の、交換留学。
言語がものすごい上手いわけでもない。
私よりもっと“有意義”に留学生活を送っているようにみえる人は、無数にいるだろう。
それでも、自分は今はただ、夢のような時間を過ごしているだけで、幸せだというだけで、いいのではないかと思う。
留学が終わったら、
これからどうするか、
“現実的”に考えるからさ。
それまでは、どうか、どうか、この夢が一時も長く続くように願って、一日一日が終わっていってしまう切なさで泣きたい。
さ、明日は、学食で何を食べようかな。
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