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5月16日

私は食べられるようになることで、頭の集中力や判断力が高まると思っていた。また、ある程度のところで自分の意思で食欲をコントロールできると思っていたが現実はそうではなかった。食べるのは止まらないし、頭は食べ物のことでいっぱいになった。
抑鬱状態である今、食べられなかった時の方が色々できている、とも思った。

アルバイトも就職活動も友達と遊ぶことも何もする気が起きなかった。でもダイエットや食事のことだけには関心があった。やる気がないなら手を動かせ、手を動かすことや何かを始めることでそのやる気がでる、というが自分の現在おかれている状況に甘え何もしなかった。
両親は、私のメンタルを気遣って就職活動や将来について否定的なことは言わなかった。就職活動をしないで資格学校や大学院に行くのもありなんじゃない?と助言をしてくれたほどである。

このように何もしていない無力感や、理想と現実のギャップ、なぜか体型のことばかり考えてしまう、食べ出すと止まらない、何をするにも一歩を踏み出せない、ずっと甘え続け家に引きこもっていてYouTubeやNetflixばかりを見ている自分に嫌気がさし死んでしまいたいと思うことも増えた。また、自分は何のために生きているんだろうと思うことが多くなった。

私は就活をしようしようとも思いつつもエントリーシートを書いたり面接を受けたりすることをしなかった。就活以外にも道があるとも分かりつつ資格学校の説明会に予約することもしなかった。
そう言った日々が続く中、結局どうするの?、就活しないの?と言われた。自分で痛いほど将来についてどうにかしないといけないことはわかってたし、甘え続けていることも理解していた。頭の中では分かっていても全く行動に移すことができないままでいた。そして、両親が自分のプー太郎姿に流石に痺れを切らし、このように言わせてしまったのにも情けなく、そして申し訳なく感じた。涙が溢れてきた。今まで自分の無能力さに涙が出ることはあったが、両親に言われるまで何もしない本当の愚かさ、みたいなものを実感した。

子供の進路が決定しないと親の面目もない。親が自身の友達と話すこととなった際、娘は家に引きこもっていると言うのは情けないであろう。でも他人からどう思われようが今となっては前ほど気にならない。将来の進路を決定しないことには何も始まらないのでとりあえず就職活動をしようと思った。また、死ぬなら就職活動をしてからでもいいや、と思えるようになってきた。なぜなら、死というものは人間の究極の最後の選択肢であり、当たり前だが人間はいつか死ぬのである。

私は良い友達にも両親にも恵まれ、恐らく自分が死ぬと悲しんでくれる人が一定数いる。LINEを無視しててもドタキャンしても付き合ってくれ、優しくしてくれる友達がいれば、自分のことを一番に気遣って、ここまで育ててきてくれた両親がいるのである。しかし、自分が生きていてその方々に与えられる少しばかりの喜びや楽しみ、期待などがあると分かりつつも、死にたいという気持ちが勝る。その方々にしてもらってきたことを何らかの形で恩返ししたいとも思うが、やはりその気持ちよりも死にたい気持ちが勝る。両親は極論生きてればそれでいいよ、と言ってくれるかもしれないがやはりその言葉に甘え生きていくのは耐え難く死んでしまいと思う。こんな恵まれている環境なのに死にたいと思うなんて、なんて贅沢な考えなんだという風にも捉えることができる。

マンションから下を眺め今飛び降りたら死ねるだろうな、と思いつつもその一歩は踏み出せない。やはり死に対する恐怖みたいなのが湧いてくるからなのか、わからない。
最近は何もかもが胡散臭く感じる。就活のコーチングと再び就活を始めることを話し「〇〇さんをサポートしますね」と言われても何もかもが疑わしく感じる。少しパーマがかかり73分けチックな姿がまたその懐疑心を助長させた。「少しは元気になりましたか?」と言われたが、全く元気にはならなかった。

今でも死にたい気持ちは変わらないが、まぁとりあえず就職活動をしようと思う。なんかこんなモチベーションでいいのかわからないが、そもそも就活なんていうものに対してモチベがある人の方が少ないと思うのでこれでよしとするしかない。

そして現在、このような長文を書くのならばその時間や活力をエントリーシートを書く時間に当てろ、と思うのだが、それ以前に記録に残しておきたいと感じたのでここに記しておく。



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