見出し画像

読後の手触り プロローグ

レビューが書けない

読書も映画も、漫画もアニメも好きだ。

大好きな作品について「あれが良い」「ここが良い」と雑談するのはとても楽しい。

けれどそれを『レビュー』として形にするとなると、全く別の話だ。

この感動を
今、気持ちの熱いうちに表現したいのに
今なら、伝えられそうなのに。

言葉にしようとすると、ハラハラとホロホロと、指の間からこぼれ落ちて行く。

思考が脆いというべきか、語る適切な言葉を探すうちに、ふわっと感動が分解されてしまうようだ。

あんなに感動したのに?
あんなにワクワクしたのに?
もっと色々な気持ちが湧き上がっていたし
もっと色々な思考を巡らせていたはずなのに?

直後に残しておこうとすればするほど、消えてしまうのだ。

言葉にするのが早すぎる

そのことについてずっと考えていて、ふとある仮説に行き着いた。

もしかしたら、気持ちが言葉にならないのは、言葉にするのが早すぎるからなのではないだろうか

もう少し、感じたことを寝かせておけばまた違うのではないだろうか、と。

内容を語るにはつかみどころのない作品や難解な作品もあれば、反対にあえてわかりやすく表現されている作品もあるが、どちらも感想を語ることは、違う意味で同じように難しい。

そんな時には、その気持ちを抱えて寝かせておけば良いのだと気づいたのだ。

言葉にならないうちは無理に言葉にせず
ただ「繰り返し、反芻する」ように
「自問自答しながら」寝かせておくうちに

それは熟成されて自然に言葉として、再構成されていくのではないかと。

熟成された後に残るもの

私はなぜ引っかかっているのか
あの時熱い気持ちになったのは何故か
この作品は結局のところ何が言いたかったのか

繰り返し折に触れ、問いかける。

理由を探すうちに、言葉が生まれる。
生まれた言葉は、新しい思考をつれてくる。

そんなことを繰り返して、作品のあらすじがぼんやりしたころに自分の心に残ったもの、それがその作品から私が得た本当の手触りなのだ。

何度も何度も触れるうちに、きっとその手触りは磨かれていくだろう。

その時、私はどんな言葉を紡ぐのだろう。

そんな試行錯誤をしてみたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?