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それはただの行為

【書く】
「掻く」と同源。(先の尖ったもので物の面をひっかく意が原義)
①(筆などで)線をひく。また、絵や画をえがく(描く・画くとも書く)
②文字をしるす。
③文に作る。著作する。

新村新 編 広辞苑 第五版より

仕事での作業中、ただただ、ペンを持ち紙に点を打ち、印をつけながらふとああ、癒されるなぁと思った。

キーボードをただひたすらに叩いているときにも、同じような感覚になることがある。

どちらも「書く」ことに違いない。

いつからか「書く」とは、何かを文章として表現しなくてはいけないと考えるようになっていた。

日記であれ、メモであれ、思考を文章で表現することこそが「書く」ことなのだと。

もちろん、それもひとつの「書く」だけれど、いつの間にか肩に力が入ってしまっていたんだろう

形になったものでなければ、書いたことにならないのだと思うようになっていた。

書いたことにならないものが溜まっていく
書きたいことを見失う
書きたい言葉を、見失う

そして手が止まる。
書けない、書けない日が続く

けれどもっと、もっとシンプルなことだったのだ、きっと。

広辞苑によるところの、書くことの定義は直接的な意から間接的な意まで幅広いものだった。

私は確かにすべての意に関しての「書く」という行為が好きなのだと、改めて言葉の定義を知ったことで再認識した。

もっと、気楽に楽しめば良かったんじゃないかな


筆記具の重みや書き心地、紙の引っ掛かりや滑らかさ、キーボードのタッチ感、映し出されたフォント・・
それらがいつしか思考と絡まりあい、一つの表現として文体を作る。

「書く」という行為が生み出すさまざまな要素があってはじめて、思考は形になってゆくのだ。


今日も私の思考は相変わらず、靄がかかったまま、泡のまま。

それでも手を動かし続けることでいつか目の前に現れてくるだろう。

「書く」ことで、私は私と会話できるのだから
・・・ね。


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