読後の手触り 1
『ある男』平野啓一郎
全く新しい人生を生き直すことは可能なのだろうか。
過去に決別してひっそりと違う人生を送ることは、可能なのだろうか。
気にかけて欲しい時には何もなかったように扱われるのに、そっとしておいて欲しい時ほど詮索されるなどということは良くある話だ。
人間にはいやらしい嗅覚が備わっている。
その嗅覚をどのように扱い、いかに手放すことができるのかが人として一つの分岐点のようにも思う。
冒頭で新しい人生を生き直すことはできるだろうかと問いを立てた。
新しい人生とは、一体何だろうか。
今までの自分を全て捨て去ることはできない。
なぜなら過去の自分のことは自分がおぼえているからだ。
今までの自分を捨て、他の名前で違う自分を生きてもそれはまた紛れもないその人の人生なのだ。
捨てさった先の新しい人生にさえ、その人という人間が如実に出てしまうものなのだ。
人は誰でも一度は自分以外の誰かになってみたいと思うのではないだろうか。
そしてそこで得られる今より良く見える人生に希望を抱く瞬間もあるだろう。
けれどどこまで行っても、人は結局自分からは逃げられない。
自分の本質まで欺いて生きることは難しいと思うのだ。
たとえ名前が変わっても
戸籍が変わっても
その時々を生きているのは自分自身という中身なのだ。
入れ物が変わったくらいでは、人の内面は誤魔化しきれない。
壮絶な体験に過去の自分を捨てたとしても、今目の前の一瞬一瞬を慈しみながら生きる人の姿は、その後に温かさを残す。
それはまた逆も然り。
よくも悪くも気持ちとは溢れるもので、思っている以上に伝わっているものだ。
2024.03
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