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※地域の再生に必要な考えとは?

地方出身や住んでる方に質問です。

「不便」な事をどう思いますか?悪いイメージ持っていませんか?


ど~も遠山郷非公認bot二号です。

今回は、noteでの投稿をしていこうと思います。そもそも「遠山郷非公認bot」ってなんぞ?という方に説明を・・・

長野県は南、焼肉大国「飯田市」に合併した旧上村・南信濃村の二つの村を周辺地域の人々は「遠山郷」と呼びます。そんな遠山郷を影ながら盛り上げるSNSアカウントそれが遠山郷非公認botなのです。(ドヤッ

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という事で・・・

初めてのnoteでの投稿ですが、今回は遠山郷から飛び出して福島県西会津町に行ってきた話をします。(遠山郷じゃないんかーい)

10/5.6「地球のしごと大學」の講義「アートが人呼び、人が人を呼ぶ」の講師の方に記録係とボランティアスタッフとして参加させて頂けるという事で福島県西会津町に居ました。

地球のしごと大學方々と、「西会津国際芸術村」を拠点とし活動している今回の講師である「一般社団法人BOOT」矢部佳宏さんに日本全体で起きている過疎化から地域に必要な考え方や可能性・西会津町で行っていることを聞きました。

一日目では西会津国際芸術村の館内見学と矢部さんが西会津町を残して行くための考えと活動の講義を聴けることに!

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17年前、廃校となった木造校舎を再利用し西会津国際芸術村が誕生しました。

初めは、大使館経由でリトアニアのアーティストが西会津国際芸術村に滞在し作品制作を行うところから多くの海外アーティストが訪れ作品制作する場となりました。隣に小学校があったことからそこの生徒さんと国際交流ができるのも1つの魅力でした。

これが、最初の8年間の西会津国際芸術村の役割

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しかし・・・

隣の小学校も廃校になってしまい、交流する相手が無くなってしまったことから方針を変え地域活性を目的としながら、海外アーティストだけではなくより多くの人に訪れてもらえる場所作りを始めました。

その最初として、西会津国際芸術村に常駐スタッフを置く話が出たタイミングで、矢部さんが西会津町に帰って来られたそうです。

元々矢部さんは風景建築家(ランドスケープ・アーキテクト)として日本、カナダ、中国と国内外で活躍ており、東日本大震災を機に矢部家の19代目当主として西会津町で活動している。

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今ままでのアーティスト活動としての場も残しながら、アートギャラリー・コワーキングスペース・コンサートなど多様な活動を行っています。

西会津国際芸術村は、古くからある伝統的な里山の暮らしを再評価し新しい価値をアートの視点から探り・発信していく場であると共に、これからも起こる人口減少に向かった先のことについて考え、行動している。

館内にあるコワーキングスペース「じぶんカフェ」で矢部さんの講義を聞きました。

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「なぜ人が地方から都市に行くのか!」

明治維新以降日本の人口は急増。その過程で産業革命により地産地消経済が消失し、工場誘致や流通の大きな変化など、社会のグローバル化が進んで行きました。
そして、都市には多くの産業・人が集まり、経済的にも豊かになりやすい状況が生まれ、システムが効率化され利便性がどんどん高まるようになりました。

一方で地方は利便性が低くく産業・人が集まらずお金を儲けることができない不便なことが住んでいる人々の中で悪という価値観が広まってしまった。

グローバル経済の売り上げの8割を創造しているのは全体の2割の人々だと言われている。そしてこの2割の人々は都市に集中している。

その結果、地方では業種の固定化やモチベーションの低下が起きることから新しいことが生まれにくい。その現状から地方の住人が都市へ出て行ってしまう。都市に出て行った人達は地方に対しての諦めから戻って来なくなり心の過疎化が起きる。これが、過疎化の大きな原因の1つ。

なので、西会津町も含めた今の地方は

グローバル経済で出来た不便=悪

という価値観を変え地域の価値を再確認する為に、新しいことを起こす必要があると考えた。

しかし、同時に新しことや面白いことを都市で実現できる人間は一握り。

ならば!!!

西会津町では、都市よりも所得は下がるが、自己実現する機会が多いことをアピールすることでクリエイティブな人材が集まるようにしようと考えた。

おぱ

このような人達が田舎に入ることにより、外から人が入る仕組みを作くっていく事で少人数でも逆転している人口ピラミッドを支えられることができるのではないかと考え活動している。

他にも、

「地域の再生で大切にしていることとは?」

それは、「多様性」と「持続可能性」である。
矢部さんの考える多様性とは

「~だからできない」ではなく、

~でもできる」ことを増やす


不便だから、人が居ないから、と諦めてしまうのではなくそれでもできることをできる様に増やし続けていく事が大切なのだ。

この考えは矢部さんの西会津国際芸術村との歩みにも垣間見ることができる。

常駐スタッフとして1人で西会津国際芸術村に毎日通うようになった矢部さんは、自分なりの町の10年構想を考え、自分の体一つから始められることから新しい取り組みをスタートした。
それから7年。今では、地域おこし協力隊を含め10名以上が西会津国際芸術村を拠点に活動している。
最初はアート施設に否定的な意見を持っていた町民の中でも、今では応援してくれる人が少しずつ増えてきたのだ。

1人でもできることから始めた行動が、人を呼び、人々の価値観を変化させていった。

この様に、「多様性」・「持続可能性」を増やしていく中にもう一つ矢部さんが大切しているものがある。

それは、温故知新な人材を育てること。

矢部さんは講演の中で、

「地方の本当の消滅とは地方の文化の消滅だ」

と語った。

地域により風土は多種多彩で、そこで生れた知恵や文化は何千年もかけて構築してきたもの。そこから民族芸能や郷土料理などが生まれていった。その文化の消滅は、その地域の特色・歴史・技術など多くのモノを失うことになる。

この考えから地域おこし協力隊という国の制度を使い、町に残る文化や有休資産、多くの自然を活用してもらい昔からあったモノをアップデートし新しい風を吹き込んでもらおうと動いているプロジェクトがある。

それが、「Next Commons Lab 西会津」である。

この様に、

昔から普通にあったものを形を変え、伝え・繋いでいく

事が大事だと考えている。
この思いが分かる活動も多く、まず1つ目が、蒲生館という元々は旅館だった建物ををDIYを行いバス停兼展示場にした。また、町の人達にフリースペースとして使ってもらえる様にしている。

2つ目は、町のメインストリートの十字路にある空き家をレストランかテナントとして入れるチャレンジショップ・コワーキングスペースに改装した。ここは十字路に成っており、東京で言うところの渋谷のスクランブル交差点である。この建物を改装する時点では、古いものに価値を見に出す人が少なかった。しかし、町の真ん中で一つでも成功例が上がれば人々の意識も変わると信じ改装を行い、今では昼も夜も人が多く出入りしているのである。

3つ目は、矢部さんが住む奥川地区楢山集落の自身の蔵と納屋を改装し宿泊施設にした。昔から普通にあったものに価値を見に出し形を変え、伝え繋いでいる。

講演終了後は、夕食を頂けるという事で場所を西会津国際芸術村に移動しました。

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館内には「まぼろしレストラン」として郷土料理の伝承や料理のイベントができる場所がある。

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今回出た料理もニシンや麩のとんかつ・えごま味噌など多くの郷土料理が振る舞われた。

この料理が乗っている漆のお盆は、矢部さんの家の蔵から出てきた100年前の物。他にも器もあり先祖が130年前に揃えた物だそうです。

料理の説明が終わり、地球のしごと大學さんとの質疑応答が行われました。

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地球のしごと大學さん「なるべく古いものを残すことに文化的価値以外のことはあるのか?」

矢部さん「木造建築であればその場所のもので出来ているのですぐ治せる。外国から輸入した物だと、物がないとできなかったりと持続性が低い。」


地球のしごと大學さん「矢部さんはここら一帯の空き家を把握しているが、普通は不動産屋などが手を出したがらず情報が少ない。静岡の熱海では町のキーマンに会うと全部知っていたりと矢部さんは町の人達との信頼関係があったのか?」

矢部さん「移住定住の担当者に全自治区と自治区長を一人一人尋ねてもらった。不動産屋は儲からない空き家や古民家に手を出したがらない。けど、私は西会津町らしい景観を大切にするためにも、古民家を活用していきたい。」


地球のしごと大學さん「多くの場所を訪れた経験上、職人・プロデューサー・経営者はぶつかりながら1つのものを作るので一人では難しいと思うが矢部さんは1人でこなしている。そんななんでもできてしまうの矢部さん個人のしたいことは何か?」

矢部さん「立場的にやらなければならないことが増えて、現場で細かいところまで詰めることが少なくなってきて自分の満足度は低くなってきている。そう言っていても仕方ないので、今はもっと大きなヴィジョンで、10年後の人口4000人のうち200人がクリエイティブ人材になるようにしたいと考えている。日本の過疎地での起業はビジネスで稼ぐことへのモチベーションが低い事から難易度が高い。だが、10年以内に積極的移住者200人程が居ないと町は緩やかに衰退する以外の道を選択できなくなると思う。だから、まずはそれをしなければならないけど、本来であれば、ここを拠点にいろんな世界中の地方を巡りながら仕事をしていけたら、楽しいなぁ~と思う。あとDIYとかクリエイティブな活動をしていたい。」

夕食後はNIPPONIA楢山集落に移り矢部さんも交え懇親会を行いました。

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宿泊した建物は、もともと納屋だったものを改装し今年の9月にオープンしました。

矢部さんは自身の住む楢山集落のことを「プラネタリーヴィレッジ」と呼び、里山をベースにしたエネルギーや水の循環、人と自然が共生する持続可能な日本の集落の原風景が「1つの惑星の様だ」と感じたことから、そう呼んでいる。そして、NIPPONA楢山集落はその集落に暮らすように泊まる事をコンセプトに作られていました。(内装や朝食など全てがお洒落でした!!)

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二日目は、宿泊施設のある楢山集落と西会津町でフィールドワークを行いました。

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矢部さん「楢山集落では家があり、その周りに田畑がありその外には森林がある。その中には祠があり、家から離れたところにはお墓がある。生命の始まり~終わりまでがこの場所で回っている。昔であれば普通にあった里山の原風景が見られることから、そこの生活に寄り添って泊まり体感して欲しい。

庭にある柿を食べたり、田んぼのあぜ道を歩いたりと里山を五感で感じる事ができ自然と気分が上がってしまいました。↓柿を頂きました(笑)

すごく甘く歯ごたえがあり美味しかったです。

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町に降り講演に出てきた「蒲生館」の見学と「イタリアンレストランKURA」でお昼を頂きました。

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蒲生館の中では作品の展示が行われており、ここでも矢部さんは、「バス停の利用者が少なくても、大切なのは常に開けておくこと」と多様性・持続可能性を語っていました。

最後に・・・

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矢部さんは、西会津町に居るのは使命感だと語っていたが、講演の最後には

「自分の子供に家を継いでくれとは強制したくない。でも、この場所のことをよく知ってくれて愛着を持ってくれる人に継いでもらいたい。その為に、外から来た人でも文化を継承できるようにしたい。」

西会津町というアートを作る、クリエイター矢部佳宏さんの熱い想いを感じ魅かれた自分が居ました。

この二日間を通して、不便なことに悪いイメージを持た無くなった。

不便は今の経済の中で生まれた価値観で、昔はそこにしかない文化や暮らしがあった。それが今、効率を求める社会の流れの中で無くなろうとそている。

周辺地域の活動の真似をするのではなく、そこの地域にしかない特色に目を向けオンリーワンを探求することが大切だと感じた。

ボランティアスタッフとしてやった事は洗い物くらい・・・

自分の力の無さを呪いたい_| ̄|○ ガクッ

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#西会津町 #西会津国際芸術村 #地球のしごと大學 #遠山郷 #地方再生 #NIPPONIA 


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