見出し画像

観劇 ほろびて『苗をうえる』


⚫︎布教


取り急ぎnoteを書いているということはそういうことで

ネタバレを含まずに宣伝したいと思うと
こんなに難しいのだなって前回感じて
いっそ「やばい!」だけ言ってた方が伝わるのか?と思ったりなんかもしましたが
以下宣伝です

劇場はOFF OFF シアター(下北沢)
座席は自由席です
売り切れの日も出ているので
気になったら即決!すべきです

とにかく出演者の方の演技力が高くて、驚かされます。いや、高すぎて役者さんがどうこうとか考えられず、ひたすら世界に入ります
色々な感情が台詞を超えて突き刺さって来る感じ
見えない言葉の鋭さと、見ないようにしているのか問題点を掬い上げ、観客に手渡してくれるような舞台だと思います

話を理解するだけではなくて
舞台上の世界を眺めるだけでも持ち帰れるものがあるなと思っていて
年齢や育った環境が違えば捉え方も共感する人物も異なるだろうと思う
だからこそ観ていただいて、感想共有できたらいいなって思って...

有意義な時間って
こういうことなのかもって文字打ちながら感じています

それでは以下はネタバレの感想になりますので、ここでこれは閉じていただいて
下記のURLをコピペして
チケットは当日精算と事前決済があるので好きな方で購入していただいて
とりあえず劇場へ
https://horobite.com/play/nae/



(※ネタバレありの感想です)


⚫︎はじめに


劇場に入ってすぐ、上手側の柱の横に役者さんたちの待機スペース?みたいなのが見えて、この演出好きなやつ!と思い上手側に着席

去年『首切り王子と愚かな娘』でも舞台上にずっと役者さんたちがいて、舞台とそうでない場所の虚と実の境が虚の上にあるのが面白いと思った

舞台上を追うのに必死ではあるが、目を逸らすと飲み物を飲んでいたり殴られたメイクを施している姿が入ってきて、心の逃げ場になっていました

感想って言葉にしてしまうと(とりわけ文字に起こしてしまうと)自分の中からストックが消えちゃう感覚があって、少し書くのが嫌だと思っていた時期があるのですが
最近は書くことでしか繋がらないものがあって、自分自身も深められるなって気付けて
拙いながらに模索して感想書いている次第です

⚫︎視覚的なものと見えないもの


ある日を境に手が刃に変わってしまった。どうにか日々を過ごそうとしてどうにか何も、誰も傷つけないですむように気を配りながら生きようとしている。周囲にはそう見えないかも知れないけどそこそこ悩んでいたその人は、苗を買った。
意識と無意識であったり、望む望まないにかかわらず結局そうなってしまうこととその可能性について。観測されうる選択の先にあること。そして更にその先のことと前のこと。苗を手に取り、土に埋める、水を撒き大切に育て成長を見守り、いつかその手でその茎をーー。
ほろびてHPより引用


この情報だけを頭に入れ観劇した

卒業を間近に控えた鞘子の手には刃がついていて、そこに気付くまでのプロローグが実にリアルに思えた
グレゴール・ザムザは「不安な夢」から覚めると虫になっていたが、鞘子は皆勤賞を取り皆の前で表彰されることに期待を膨らませ目覚めたら、左手が刃になっていたのだから
至極当然の反応だと思った
いや、そもそもそんな不条理を味わったことがないのでリアルとか当然とかそのもの自体が想像でしかないのだが
それだけ現実的に思えたということです

視覚的にもインパクトのある左手
もちろんそれに目がいくし、最初はずっと鞘子のことを考えていた
「みっともない」とタオルを投げられるところが私の中で何度も再生される

鞘子の立場にいるのではなく、もしかすると母親である間々にほんの少し感情が移ったのかもしれないと思った

もちろん目に見えて不条理なのは
凶器になってしまった手を隠そうにも隠せない痛みが走る鞘子
「そんな痛みも我慢できないなら」(ニュアンス)って言われるけど
もう一杯一杯でスレスレのところなのが伺えてしんどい

ただここで、宇Lが登場することによって
この作品のもう1人の、もう1つのテーマを見ることが出来る

少し断片的なシーンが時間を重ねて段々見えてくる現実になる時が好きだった
好きだけど怖くもあった

目に見えない不条理がポロポロ落ちてきて

認知症の祖母の面倒を見るために学校に行かなくなった11歳の宇L
近年問題視されるヤングケアラーについて考えさせられる

文字としてやニュースとして問題視されたところで、それは言葉溢れる現実世界では一瞬にして流れていくから
だからこうやって
作品に落とし込むことで
字面ではない状態で届くし、届ける必要性みたいなものを感じた

⚫︎見えない人たち


11歳のヤングケアラーと問題を抱えたシングルマザーのもとで育った18歳

もちろんこの子どもであるのに大人になることでしか自分を守れない人たちもそうなのだが

電話のシーンを見る限り給付金か何かの承認が下りず生活に困窮しながらも、男に縋って生きてしまっている間々
認知症のマドカ
働くことが出来ないセイイチ(これって一見クズ男に見えるのだけど、人間って健康な身体があれば絶対に働けるのか?健康そうに見えたら働けるのか?そういう固定観念を持つから彼がクズに見えるのか、色々考えてみる)

狭い世界の話を見ているのだけど
この狭さの中に押し込められている人たちは皆、社会から爪弾きにされて、見てみないふりをされているように思える

今の日本の(限った話ではないかもだけど)
解決できていないこと
そこを掬い上げて
ほんの少しだけ希望があるように終わっていったけど
これを持ち帰れなかったら
その希望は断ち切られるかもとも思った

⚫︎無自覚に向けられる刃とその先の責任


鞘子の刃があんなにも鋭く見えるのは演技力
では、それ以上に鋭く感じたのはなんだったか

無自覚に発せられる言葉と行動

自分がいて、相手がいて
親がいて、子がいて
関係性があるから、行き場のない愛が、そこにやさしさがあるから

YOUはスラングでU
Uは元素記号
元素記号のUはウラン

宇Rの名はウランから

鞘子の名前の由来を聞いた後に
この長台詞がやってくるものだから
余計にその意味が鮮明に伝わってくるようで

答え合わせをされているみたいな気持ち

「悪気はなく、良いと思ってやったこと」

それに対する責任は誰がとって行くのだろう
核兵器という大きな例を出すことで
狭いコミュニティの中で、なんとか生きている人々の無自覚の責任を問うようだった

⚫︎優しさで自分を保てるのか


子ども2人が
大人になってしまっていることと
他人に優しいというか、あの環境の中で育っているのにという(これも偏見だ)感じがして

それが、優しくあることで自分を保っているように見えていて
そしたら宇Lには生まれてすぐ亡くなった宇Rがいて、彼が暴力的で
そんな宇Rを仕舞い込んでいる
そうやって閉じ込めておくことで自分を保ってるんだなって

あの動きと言い聞かせるような言葉も、身体をぐにゃりと動かすことで暴力的な思考を流し出し言い聞かせているのかなって受け取った

⚫︎ネクタイとイヤホンと刃


最初はadidasのジャージとその色に合わせた上履きが気になって
上履き久し振りに見たなとか思ってた

(ネクタイ)
子ども2人がネクタイを締めているのが凄く印象的で、鞘子はジャージと同系色だしオーバーオールに隠れていてあまり見えていなかったのだけど
宇Lのぶらんと長いネクタイを見ると、彼がどんどん11歳の男の子に見えてその違和感がどんどん浮き彫りになっていく気がした
大人ではないのに大人なふりをしなくてはいけない
繋がれた、縛られた存在である
特にマドカに引っ張られる宇Lが象徴的だけど
間々と掴みあって(たまたまかもしれないけど)オーバーオールの紐が外れて隠れてたネクタイが垂れるように姿を見せたのも凄く印象的

(イヤホン)
宇Lと宇R
最初は平仮名か植えるとかかな〜って思ってたら斜め上の名前だったのだけど、宇Rが出てきた時に
あ〜イヤホンのLとRみたいな感じって思っていて
対になっているとも取れるけど
「聴こえる方の耳で」って台詞からやっぱりそういう意味合いもあったんじゃなかって

(刃)
誰かを傷つけないように必死に刃を向けないようにしていた鞘子が必死に断ち切ろうとしたもの
その刃を振り翳した唯一の場面
宇Lとマドカの間にある目には見えない繋がりを断ち切ろうとしていたように見えた
何度も何度も見えないものを切ろうとする姿が、下を向いて大きく振り下ろす左手を見ている時に
鞘子ってこの作品そのものみたいだなと思った

⚫︎感想


本当に毎度のように思うのだけど
どうして私の身体は一つしかなくて
この世には沢山舞台があるのだろう

「絶望」って言葉を使う時は
本屋さんで一生かかっても読みきれない本を眺めている時と
フライヤーを眺めながら全てには行けないと悟る時

そして
良い舞台を観た後の
なんでもっと早くに出会えなかったのだろうに繋がっていく

初めてのほろびてさんの舞台
なんで観ようと思ったかとか、そういうの忘れちゃってて
フライヤー観てとかTwitterに流れてきてとか前作の評判を知っていてとか色々あるのだろうけど、チケット取るとそのことどうでも良くなってきて
観劇ブログとかを読むとめちゃくちゃ細かく作品情報書いてあって、そういうのも良いなと思いながらも
これはあくまで私が言語化して考えを深めて、あわよくば誰かと繋がったらいいな〜って気持ちで書いているので
これからもきっとこんな感じだろうな

今日もひたすら早く出会いたかったな、なんて考えて下北を徘徊することになっていたのだけど、
好きだな演劇
たまらなく好きだな

見立て次第では何にでもなれるんだな
って当たり前のように思ってはいけないなって素晴らし過ぎる演技を目の当たりにして考えていた

凄くヒリヒリする
身体の一部が痛い気がする
それでもどこか希望が見えて

日常生活で味わういくつかの感情がバランバランに押し寄せてくる
意表をつかれるというか、さっきまで笑っていたはずなのに口角動かなくなるくらい引き込まれていく感じがした

凄く人間
そう思って舞台を眺めて
劇場を出るとその世界が自分と地続きであることに気付く

初めて舞台で拝見する役者さんだったので
ただただ凄いとしか言えないのが申し訳ないのだけど
本当に震えちゃって
あまりにも舞台に没入して
役者さんがどうこうとか考えている余裕がなくて(これって私にとってはめちゃ最高の舞台を観た気がする)
全員が凄いとこんなにも雑念なく見られて

いやでも
凄いを言語化しようとすれば出来ないこともなくて

鞘子ちゃんは高校生に見えるというか、今まで刃を覆うと走る激痛より苦しいものを抱えて生きてきた過去が透けて見えるのに、どうしてそんな風に振る舞えるのだろっってついつい思ってしまうようだったし
表情一つとっても高校生で娘で1人の人間で
声も身体の使い方(特に最後の表現)現段階の語彙力で表現するのは失礼かもしれないのでこの辺で

間々さんの行き場のない言葉が鞘子ちゃんにぶつかってしまうのを見ると辛いのだけど
名付けのシーンとかを見るとどうしてか感情移入してしまって
私は母になったことないのにどうしてこうも流れ込んでくるんだよ!って苦しくなりながら感動してた

宇Lくんとマドカさん(どういう字書くんだろ)
見立てだよなまさに
2人とも最初に出てきた時にはそう見えなくても終わる頃には認知症77歳のお婆さんと介護する背が高い11歳
マドカさんの通帳がなくなっていて、孫に盗まれたと思って怒鳴るシーンが
これも経験したことないはずなのにドラマとかで観た時よりずっとリアルに(生だから余計に言葉がダイレクトに刺さって)しんどくて
背けたい視線を必死に舞台に残していた
宇Lくんの長台詞
その中に色んな答えが散りばめられてて、戯曲として読んだら黒い塊になるそれが低い温度と色を持って発せられているのが凄く良かった

セイイチさん(合ってるっけ?これもどう書くんだろ)のどうしようもないところが、たまらなく人間なんだけど、クズで括れないって思うとこと重なるのが凄くて
通帳残高を見て、まだギリギリの真っ当に生きようとする人間としての理性が働いているのが伺えるのもそうだし、こういう怒りとか悲しみとかではない細やかな感情って、こんなシャープに見えて来ることもできるのかって感じて

また素敵な役者さんたちを知ることができて幸せだな

⚫︎備忘録


前日にたまたま流れてきたツイートで
「やっぱり私は役者さんを観にいっていると分かりました」(みたいな)
言葉が目に入って

私は何を観にいっているのか考えながら寝たのですが、そんなことは忘れて観劇
ただこうやって文字を打っていると
自分の中にある感情などを言葉にするので、そのツイートを思い出して
私は役者さんを観にいっていないかもと思った

好きな役者さんがいないわけでもないし、役者さんで選ぶことだってあるけど
舞台を観て役者さんを観たなって思うことあっただろうか

どちらかというと
舞台があって、物語があって、そこで起きることを目撃して、落とし込んで
その過程の中でもちろん好きな演技や上手いと思うことはあるのだけど、最終的には舞台全体の一部として役者さんを観ているので、結論としては舞台を観にいっているになるかもしれない

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?