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できない文系院生の悲惨な末路(102)

もはや,自分より格下のやつらばかりだと思って参加した同窓会飲み会であったが,とんだ思い違いであることに気づいたMくん.実家に帰ってしまった嫁は,嫁の実家まで迎えに行き,針のむしろの中で義父・義母にいろいろ言われ,

Mくん「頑張って,大学を移りますのでもう少しだけ長い目で見て下さいませんか」

と懇願し,義父からは

Mくん義父「君は人生設計をどのように考えているのかね」

と聞かれたが何も答えられない.なぜならばMくんは,●●が研究したいとか,××を解明したいなど,本来の研究者たちがもつモチベーションなどなく,何となく「かっこよさそう」などの動機から大学院進学を決めたからである.三流大の学部時代に周りから「●●はMに聞け」と言われたことで昇天してしまい,自分の実力を正確に把握することなく大学院に進学してしまったのである.それも研究者養成のコースではなく,学力試験も負担が軽い修士で終わるコースに入って,博士課程に無理やり進学したため,地頭もその後の努力も全く足りなかったのである.義父には頑張って大学を移りますとは言ったものの,いまのMくんの実力で大学を異動することは至難の業なのである.そう,ア・バオア・クーからザンジバルでグラナダに脱出するぐらい至難の業なのである.
 大学を異動するためには業績が必要である.すなわち,学位と論文である.しかし,Mくんにはそれがないのである.この時代,既に博士号がなければ,書類審査の時点てはじかれていたし,学位がなくとも超有名な欧文査読誌に論文を掲載できれば可能性があるのかもしれないが,以前とは格段に緩くなった課程博士の学位取得ですら取れなかったMくんに明るい未来は開けていないのである.もちろん,Mくんと同門の先輩や後輩にも修士号しかも持たずに就職した人はいる.しかしながら,彼らも数年後で学位を取得したり,社会人コースに再入学して学位を取得していた.Mくんもそういった人たちをみて自分も社会人コースで学位を取得しようと,師匠の弟子,Mくんの兄弟子にあたる准教授の先生に受けれをそれとなしに打診したことがあった.しかし,兄弟子は

兄弟子:「Mは基礎的な学力が不足しているから修士からやりなおせ」

と冷たく言い放ったのである.こうして,移籍のための必須である博士号を得られないため,異動のめどが立たないのである.それなら論文を書けばよいのだが,夏休みは過酷な高校訪問のため,論文を書く時間など一切なかった.そうこうしているうちに,秋学期に突入した.

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