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医療を取り巻く社会背景に沿った歯科治療

 国民の医療に対する権利意識の向上と医療ニーズの多様化が進むなか、医療現場におけるアメニティー(Amenity)の問題は医科、歯科を問わず共通した課題になっている。とりわけ歯科においては、特殊疾患を除けば、無痛治療は患者のだれもがもつ潜在的な願望であり、最近では歯科医院を選ぶ基準のひとつになりつつある。痛みを予防し、発生させないような治療はアメニティーの向上のための要件であり、歯科治療におけるこれからの課題と思われる。

 はじめて来院する患者のほとんどが痛みを主訴としており、痛みをコントロールすることは重要であるが、治療行為そのものが痛みを連想させるような従来の治療術式を、最先端技術を駆使した先進機器の応用によって少しでも解決できるならば、国民がもつ歯科医療に対する恐怖感を解消し、イメージアップにも役立つものと思われる。

 また、医療がかかえている今日的課題のひとつに医療紛争問題があり、医療現場における患者と医療者の関係に新たな局面を迎えている。最近の傾向として事故がなくても紛争になる場合があり、医療技術が高度化し、疾病構造の多様化によって医療行為そのものが医原性疾患(Iatrogenic Disease)を生み出しかねない状況になってきている。わが国が多くの有病者をかかえつつも世界一の長寿が達成されていることは、健康と長寿がうらはらになっていることを示唆しており、歯科を受診する患者の多くが、何らかの基礎疾患を持つ有病者、日和見感染者(Compromise Host)であることを改めて認識する必要がある。医者が聖域といわれた論拠として、患者を傷つける権利と患者のプライバシーを知る権利があったが、それはもはや過去のものになりつつある。

 このような社会的背景をふまえて、歯科医師は治療行為による医原性疾患や医療過誤を引き起こさないような診療システムの確立が求められている。

 わが国における抜歯の原因調査によるとう蝕が最大の原因であることが明らかである。(*1)国民皆保険による平均受診率が欧米に比較して高い環境で、う蝕の初発から放置されたまま抜歯に至るケースは稀と思われ、大多数がう蝕の初発から再治療を繰り返す過程で悪化していく、いわゆるRestorative Cycleのケースであると思われる。

 早期発見、早期治療の方針のもとに、不適切なシーラント充填にはじまって

Class Ⅰ → Class Ⅱ → オンレーあるいはクラウン(補綴) → エンド(歯内療法)

というRestorative Cycleにいたる経過の順序で悪化することは、わが国の疫学的調査でも立証されている。(*2)

 ここで、問題になるのは、悪化の原因に歯科医師の不注意な治療行為や未熟な技術(Technic Error)による医原性疾患がかかわっているか否かである。私も自分自身の患者で、過去に行った2級インレーやクラウンの接触部の隣在歯う蝕を多く経験しており、エアータービン等の回転切削時の不注意が原因と推測され、患者に対する悔恨の念にさいなまれる思いをしている。最近は歯冠形成には隣在歯との間にメタルストリップス等を介在させながら、細心の注意をはらって形成を行うように努めてはいるが、回転切削の欠点をすべてカバーするところまではいたっていないのが実情である。

 スウェーデンのEckerbomらの疫学研究によると、無髄歯が有髄歯に比較して歯牙損失の傾向が高く、歯髄の有無が歯牙喪失に影響する大きな要因となっている。(*3)わが国では数少ない疫学調査であるが、安藤らの歯髄保護の重要性の根拠について疫学的観点から論じた研究からもわかるように、歯髄を保存することが歯牙の永久保存には必要条件であり、歯髄に障害を与えるような治療行為は避けるべきである。

 一般に行われている窩洞形成時の加圧・振動をともなう回転切削法による歯牙の切削は、バーのブレードやダイヤモンド粒子が使われており、歯牙組織を細かく砕く作用によって削るため、歯の表面に微小なヒビや割れが生じ、これが咬合圧や時間の経過とともに広がり歯牙の破折や二次う蝕の原因になると考えられている。また歯とバーの接触面で摩擦熱が生じ、その熱が象牙質細管内液の内方向への移動(Hydro dynamic theory)を引き起こし痛みの原因とされている。(*4)さらに象牙質にいたる窩洞形成では、象牙細管または象牙芽細胞の突起を介して象牙芽細胞の傷害を引き起こすことは多くの基礎研究で実証されている。

 このように歯髄組織に刺激が伝達され、歯髄に反応が起こることは同時に歯髄神経を刺激して疼痛発生の原因になるのは明らかであるのみならず、場合によっては歯髄組織に炎症性の反応を惹起させることが知られている。エアータービンによる切削では、歯髄に対する傷害が大きく、十分な注水冷却が不可欠であるが、実際の臨床では切削部位によっては注水が到達しえないこともあるため、歯髄傷害を起こしていると考えられる。また、歯髄が熱だけではなく切削時の過度の振動にも反応することは十分に推測され、骨を通して効率よく伝わり増幅されるため、患者の多くがこの振動によって痛みや不快症状を訴えることがある。歯冠形成で歯髄の生死に及ぼす影響について調べた研究では、修復後3年から30年経過したもので全部被覆冠では13.3%の歯牙に歯髄壊死が生じており、修復されていない歯の場合の0.5%と比べて有意に高率である。(*5)現在は、定説になっている象牙質・歯髄複合体(Dentin Pulp Complex)という観点から、象牙質ならびに歯髄に傷害になるような切削法は可及的に避けたいものである。

*1)木村年秀ほか:抜歯の原因調査 郵便調査法を用いての検討、口腔衛生学会誌、1987

  新庄文明:永久歯抜歯の適応の判断に関する要素、口腔衛生学会誌、1989

*2)安藤雄一ほか:クラウンを施した歯牙の喪失リスクについてー健全歯との比較ー、日本歯科評論、1994

*3)Eckerbom M, et al:Reasons for and incidence of tooth mortality in a Swedish population,Endodont Dent Taumatol,1992

*4)Brannstrom M and Astrom A:The hydrodynamics of the dentine:its possible relationship to dentinal pain. Int Dent J. 1972

*5)Felton D madison, S Kanoy E, Kantor M and Maryniuk G:Long term efects of crown preparation on pulp vitality. J.Dent Res,1989


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