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出雲とヤマト 歴史2
前回の続き
https://note.com/tohokami_life/n/n571c81edbf87
出雲王国ができたのは、紀元前660年
この出雲王国は
周りの国を武力で制するのではなく
言葉によって和合していった。
そういった 言葉で出雲王国が大きくなっていったので
”言を向けた”という所から、出雲王国の一族は向家と呼ばれた。
向家の先祖の神様は、クナトノ大神と幸姫命の二神であった。
出雲王国の
王の職名は、大名持と呼ばれていた。
初代の大名持は各地の豪族の話をよく耳を傾けていたことから
八耳王(やつみみ)と呼ばれ その妃は稲田姫と言われていた。
![](https://assets.st-note.com/img/1701043130274-MXquzjKSRj.jpg)
稲田姫は櫛稲田姫であり 古事記では素戔嗚尊の奥さんになります。
出雲族は年2回、春分の日と秋分の日に祭りをした。
またその日を元旦としていた為 古代人の年齢が2倍になっていた。
ということは1年に2歳年をとるということである。
そして そのお祭りに多くの豪族が土産物を持参して
蔵に山ほど積み上げられた
この事を見て、人々は向家を富家と呼ぶようになっていった。
富家の現当主は、190代目。
一代あたり20年から30年とすれば
出雲族が 約4000年ほど前に渡来したこともうなづける話だ。
出雲王国の神は、幸神(サイノカミ)と言われていた。
幸神は子孫繁栄の神で そのためには結婚と出産が必要になる。
そのため、幸神は縁結びと子宝の神と言われた。
サイノカミは 三柱の神で構成され
父神がクナトノ大神、母神が幸姫命
そして、御子神にサルタ彦大神があてられた。
![](https://assets.st-note.com/img/1701043130346-G5CTl6GUCU.jpg)
三柱に因んで、出雲では三を聖数としている。
三拍子揃ってめでたい とはこの事である。
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