邂逅

楽毅が書いた「楽毅の燕の恵王に報ずる書」という文がある。これを読んで泣かなければ忠臣ではないと言われ、諸葛亮もこれを読んで泣いたと言われる。これで泣けないから忠臣ではないのではなく、必要なのはシンクロ(共鳴、憑依でもよい)だと思う。自分とそれがその状態になった時、感動やその他の感情が自分のものになるのだと思う。楽毅は燕の朝廷に仕えていたが、新たに王になった恵王に疎まれ亡命を余儀なくされ、恵王が楽毅非難の書を送ってきたため、それに対する弁明がこの書なのである。現代、朝廷に出仕している者はおらず、感情移入の方法が少なくそれでも伝わるものはある。疲れた時だから響くとか単純なものではなく、なので疲れた時に読めとかではなく、そういう時に出会えたら最高だねという話。



参考にした文献

宮城谷昌光 楽毅 新潮文庫
司馬遷 奥平卓訳 久米旺生訳 史記ニ 徳間書店
司馬遷 水澤利忠訳 増野弘幸訳 史記九 楽毅列伝
新釈漢文大系 明治書院
司馬遷 小竹文夫訳 小竹武夫訳 史記 ちくま学芸文庫
中國哲學書電子化計劃
司徒's ブログ 「樂毅報燕惠王書」和訳してみた

かなり訳す上で参考になりました。ありがとうございました。

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