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運命的な通過点

BGMに選んだ曲です。

これほど印象的で強烈で嬉しくてありがたいと思った帰省はこれまでのオレの歴史にはない程の、運命的な帰省の10日間を味わった。

何しろ帰省する1週間前からシンクロ祭りが始まった。

今回の帰省の目的は実家の両親に元気な顔を見せる事と、親友2人に会って見て自分の回復具合を確認する事が目的だった。
そういえばJALのポイントが貯まっていたのを思い出してどこかに旅行でもしようかというのが発端だった。
それが何故か帰省を思いつかせて、エアチケットを予約した。
出発1週間前に、姉にメールすると母さんが悪性リンパ腫というガンで、全身に転移しているらしく、全身寝たきりの介護状態で、検査入院の日を自宅で待っているのだという。

出発の日の朝、旅支度をしていると母から〈最後に会いたい〉という電話があった。母親が最後を悟ってちょうど電話をよこすのが、ものすごいシンクロに感じた。

青森に着いた翌日に、急きょベットが空いたとの連絡で、母の入院手続きを手伝う事になり、1日母と過ごした。
母の入院病棟は免疫の弱い患者が入る滅菌病棟なので、一度入院したら家族も見舞いに行く事は出来ない。
オレはその日本当の意味の〈最後のお別れ〉をキチンとする事ができた。
母親の前で泣いたのは40年ぶりとなった。オレは心からお礼が言えた気がしている。キチンと伝わるように出来たと思う。照れずに言えた。それが良かった事だ。
もうこれしに帰省したと言ってもイイヤツだとおもった。

姉の顔もようやくまともに見られるようになったのを確認した。
晩飯を何度かご馳走になったのだが、姉の印象が以前と180度ガラリと変わって見えた。
おそらくオレの目の曇りが取れたのだと思われる。

最初の頃はアキラの家に泊まっていたけど、母の入院後は実家に泊まった。
なんかアキラにも悪い気がしていたし、思い切ってそうして見た。
父親と2人きりになる事は、これまで殆ど無かったのだと思うくらい、気まずい空気なのだが、流石に親なのだろう。
「気にする事は何もない」という姿勢を親らしく見せてくれたのも尊敬出来た。
あの父さんはカッコよかった。

女神と敬う親友のアトリエに遊びに行って2人で絵を描いて遊んだりして見た。
大学時代の一番自分が輝いていた頃のテンションに久しぶりに戻るような不思議な感覚になった。
体は50で記憶や経験もオジサン並みのスペックで、ハートだけ20代に戻るという不思議な体験だった。
〈絵を描くのは楽しい〉という事を、本当に久しぶりに思い出した。
結局2人で大きな動物の絵を描いた。
オレはこの絵がとても良く見える。スゴい絵に見えてしょうがない。結構好きだ。

…で最後の日はアキラと2人で、ガレージの焼き肉パーティーをして閉めた。
青森の出入口のような存在にアキラはなっていた。車をずっと借りっぱなしな上、途中でバッテリーをあげてしまい、忙しい中呼び出して何とかしてもらった時は、さすがに迷惑をかけ過ぎたのか、半分くらい本気で怒っていた気がするが、10代の頃の誰が誰とヤッタとかいうどうしようもない話しで機嫌が治るあたりは、アキラも大人になったのだと思う。
ともあれアキラは昔から人の背中を押すのが好きだ。
用水路のジャンプも自分が先に飛んで見せて、その後早く来いと背中を押すのだ。
自転車で坂道をいかに早く走れるか大会の時も、彼はいつもちゅうちょがない。
ウツの人に〈頑張れ〉は禁句だと知っていてなお、怖がるオレの背中を押す。
小さい頃からそうだった。彼の〈ためらわずに行く〉チカラは、校内では池ちゃんに次いで2位だった。人生がそのような能力なのだ。
焼き肉の夜彼はコレでも抑えた方だと言っていたのを聞いて少しゾッとしたが、オレもどこかでそれを望んでいた気がする。

最後に青森を離れる飛行機の搭乗待ちで父親からの感謝のメールが入っていた。
父親は半分くらいボケていて同じ事を何度も言ってしまうのだが、その95%が誰かへの感謝だという、仏様のようなボケ方をしているのだが、やはり東京で慣れたオレには衝撃で、青森は人口が少ないからこそ周囲の人が気になりやすく、親密な人間関係を築きやすいのだなと、改めて思ったのだけど、
最終的にはオレも色んな人に感謝出来てよかったと思ってみた。

この通過点は、スゴい特別な、ずっと通過するのが決まっていたポイントな気がしてならない。

ここを通過した先の自分が見えているのだと思う。

オレはコレをとてもイイ事だと思う事にした。

やっぱりバシャール オンリーで生きてみようかなと、改めて考えたり、ビビったりが出てくるけど、焦らず心掛けネバならないな。


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