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当麻の記憶#15 先生の昔話

「平成4年は、全ての行事名に“100年記念”が付けられていました」と懐かしそうに話すのは当時、開校100年を迎えた当麻小学校の校長だった澤田武雄さん(昭和9年7月21日生)。澤田さんは平成3年から4年間、当麻小学校で児童の教育に従事した後、定年を迎え、現在は中央5区の自宅で静かに当麻町の未来を見守っています。
澤田さんは旭川生まれ。数年のサイクルで異動がある学校教員ですが、当麻とのかかわりは長く、大学時代からあったと話します。地質学を学んでいた澤田さん。大学4年時に当麻鐘乳洞が発見され、当時、師事していた教授が北海道大学の研究チームとともに鍾乳洞の調査に入ったことから、かばん持ちとして同行したのが初めての当麻との関わりでした。入り口や通路が無い発見されたばかりの洞内を懐中電灯を頼りに調査。思い出深いのは50メートルほど入った時に目の前に広がった、真っ白な鍾乳石の数々だったと話します。その後、鍾乳洞で縁があるからと教員生活初任の地として発令されたのが当麻町でした。

開洞当時の当麻鐘乳洞

小学校ではなく当麻中学校の教諭として赴任した澤田さんでしたが、ペンタゴン方式と呼ばれ、ジグザグの形状をした当麻小学校校舎は非常に印象深かったそうです。特徴的な形の校舎は、まだ完成間もない頃で視察が絶えないとよく聞いたことを思い出しますと話していました。3校の中学校で教鞭をとった後、教員数過不足の事情から小学校の教員に。その初任地も当麻町でした。澤田さんは岩石に精通していたため、小学校内にある岩石園の整備にも携わっています。子どもたちに“ハゲ山”と呼ばれ親しまれていた築山の奥にあった岩石園。現在は、校舎建て替えと同時に当麻保育園側の校舎敷地内に移設されています。ここには当麻で採石した岩石を主に、さまざまな岩石が飾られています。澤田さんによると、当麻の地層を構成する岩石は各種多様にあるが、露頭してよく目にするのは赤色珪岩(チャート)、安山岩、石灰岩の3種とのこと。親子山→将軍山→当麻山→黒岩山と赤色珪岩の地質が一直線につながっており、採石を行っている開明や東には安山岩の地質が、石灰岩はさまざまな場所に分布しているとのことです。赤色の石が出るのに“黒い岩の山”と表記する黒岩山。理由は定かではありませんが、遠くから見ると黒く見えるからなのでは?とのことでした。

特徴的な形状の旧当麻小学校校舎


開拓の鍬が降ろされた明治26年に尋常小学校として開校した当麻小学校。平成4年は当麻小学校も開校100年という記念の年を迎えていました。その中、教員生活最後の地として同校に戻ってきた澤田さん。開校記念日の9月6日には、協賛会主催の記念式典を実施した他、校内敷地に建てた「はばたきの塔」の下に、児童の作文や作品、教員のメッセージを納めたタイムカプセルを埋蔵しました。澤田さんも校長として、メッセージを納めたそうです。