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【エッセイ】お粥がまずい幸せ

私の父は数年前胃癌の手術をしている。
退院しても暫くは食事制限がついた。
今は私も兄も結婚し、祖母も他界している為実家は両親2人暮らし。
兄は少し遠くに住んでいる為、比較的近くに住む私がちょくちょく様子を見に行っていた。
食事時に来訪すると、どうも父の顔が渋い。
どうしたのか尋ねると、
「お粥がまずい…」
との事。
普通の硬さのお米が恋しいという事かと思ったら、純粋に母の作るお粥が激マズとの事。
「そんなことは無いはず…」
と私はすぐ思った。
私は小学生の頃は風邪を引きやすく、車の免許を持っていない母の自転車に乗せられよく病院に行っていた。
そして、よくお粥を作ってくれた。
私はそのお粥をまずいなんて思った事はない。
そもそも父は酒を飲まないと寡黙な男で(酒を飲んだあとは酷い)、食べ物を口に出してまずいとはあまり言わない。
母が毎日作ってくれているのが分かるから申し訳ない気持ちもあるらしく言えないとの事。
しかし、あの幼い頃の思い出のお粥がまずい?
私が馬鹿舌なのか?
そんな事を考えていると母がお粥を持ってきて父の目の前に置いた。
「…これは。」
目の前のお粥は、焦がさないようにかき混ぜすぎたのか餅のようになっており、米の原型がない。
スプーンで掬うと、もったりしすぎてむしろよく噛んで食べないと危なそうだ。
1口もらうと、舌触りも悪い。
これを毎日3食食えと言われたら…
次の日、私がお粥を作る為だけに実家に行ったのは言うまでもない…
その時の父の真顔だけど目だけ笑ってる顔は忘れない。
母には、お粥じゃなくて雑炊にした方が食べやすいと思う。
と話し、母が雑炊の素を買ったり具を入れる事で餅にならなくなり父は無事食事制限期間を乗り切った。

さて、何故母はお粥を上手く作れなくなったのだろうか?

「お粥毎日作るの大変だったでしょ?」
「そうだねー。お粥なんて作るの20年振り位だったからね。」

この母との会話で気付いた。
母にとってお粥は病気の時に作るもの。
母は20年もお粥を作っていなかったのだ。
祖母もピンピンコロリと亡くなっているし、私も中学に上がってからは記憶では結婚するまで1、2回微熱をあげたくらい。
母は今でも私に言う。
「元気でいないとダメだよ。」

この20年お粥の作り方を忘れる位家族は元気だった。
私は病気じゃなくてもたまにお粥を食べたくなって作ったりする。
でも、母にとってはお粥を作る事は病気の家族の心配をする事と同意なのだろう。
母のお粥が美味しい時は誰かをずっと心配し続けているという事。
母のお粥がまずい時はしばらく心配する事が無かったという事。
そんな風に思った。

これからも母のお粥はまずいままでいい。
私の幼い頃の思い出の味が無くなっても、母の今の味がみんなの幸せなのだ。


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