240824 積極的な停滞

この頃本当に調子が悪い。死にたいし、イライラするし、眠いし、眠れないし、だるいし、食欲もあまりない。

親と連絡取らざるを得なくなったとか、薬がないとか色々と、直接的原因もあるとは思うけれど、一旦置いておいて、回復とかそう言う視点で考えてみる。

とにかく落ち込むし悲しい。それはこれまで無視してきたり抑えてきた感情のひとつ、というのは確実だと思う。こんなに苦しいので、それは確かに抑え込みたいという気持ちになる。なのでこれまでは薬や酒に頼ったり自傷したり、もっと昔であれば空想だとか勉強の世界に引きこもった。

そんなわけで、動悸や頭痛もする。前まで動悸は明らかなストレスの近くにいる時だけだった。今は家にいても起こるし、楽しいことをしていたつもりでも起こる。それにだるくて外に出ることはおろか立ち上がるのも億劫だ。眠ろうとすると、冷や汗をかいたり、足がむずむずしたり、痒くなったり、色々と苦しい。

たぶん、今はあまり何もするなということなのだろう。趣味のこととかクリエイティブなこととか人と関わるとか、新しく医者を探すとか将来について考えるとか。忘れて休めということなのでは、とも思う。

そんな中ではあるけれど、内的家族システムになんとなく興味を惹かれたので、「『悪い私』はいない」を少し読んだ。これまで読んだトラウマ関連の中でいちばんしっくり来る気がする。ただ、この本がしっくり来ているのは、これまでにトラウマの基本概念について調べたり、インナーチャイルドとか内なる批判者とか、そういったことを先に知っていたからだと思う。

ほんの少しエクササイズをやってみた。いまの、どうにも苦しいとなっている部分に近づくことにした。悲しさを一番強く感じる。胸の辺りだ。話しかけてみると、大泣きしてしまった。それで、この部分から引き離す他のパーツが出てきた。とにかく離れて欲しいみたいだった。このパーツに話しかけると、今度はなにか焦っているパーツが出てきた。どんどん最初のパーツから引き離された。結局あまり話すことはできなかった。出てきてくれてありがとうということと、混乱させてごめんということ、また来るつもりだということを話した。

最初だからそんなにうまく話せないということだろう。あと、確かに夜だとか不安定なタイミングでやるのも良くないという感じもした。でも辛いと思った時にエクササイズをやってみるのが分かりやすいし、苦しさは少し減る気もする。

確かにちゃんとしたセラピストがいるに越したことはないのだけれど、それはしばらく向いてないので、どうにか気をつけながら進めていこうと思う。

押し寄せる負の感情や体調不良はとにかくしんどい。薬か何かで無くしたいとも思う。しかし、これはなにか必要なことなのかもしれないという感じもする。少し受け入れてみるつもりだ。

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