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'90 スパ24時間レース vol.2

こんな一般道を走るの?


前回のvol.1に続き、都平さんのインタビューを掲載していきます。ぜひ、vol.1から見てください。

私: vol.1では「オールージュのスピン」について語っていただきました。スパは一般道を含むコースでしたね。レース前にコースの下調べを行いましたか?

都平:予選前日にコースの下調べをしました。「この道を走るのかぁ。常にGT-Rは全開だな。」と思いました。そして、オールージュ付近に郵便ポストがあります。コース脇に郵便ポストがあるサーキットに驚きました。チーフメカニックの中村さんが、コースの形状を細かく確認し、丁寧にノートにまとめていました。

私:実際にコースを見た印象を教えてください。

都平:良いコースだと思ったよ。
上りと下り。 テクニカルなコーナー。バランス良く走りやすいコースだね。やっぱり、オールージュだね。全開でいってスピンしちゃったけど。

私:以前、サーキットへ向かう道を間違えたと聞きました。 

都平:空港からベルギーのスパまで、クルマを運転して行きました。 木下くんと僕の2人で運転をしました。道路脇の標識なんて気にせず走っていて、気づいたらオランダにいました。 道を間違えてベルギーではなくオランダに行ってしまいました。 それも良い思い出です。

私:ありがとうございました。〝続く〟
vol.3では、24時間に挑む、決勝スタート」について載せます。

決勝スタート前の都平健二、木下隆之


都平健二の遍歴

茨城県水戸市出身のレーシングドライバー。『城北ライダース』に所属。その後、大森ワークスと契約し、1969年には、R382で日本グランプリを出走。1970年代はスカイライン2000 GT-R・フェアレディ240Zで参戦。ハコスカ50勝目を記録した富士300kmスピードレースでは豪雨の中で驚異的な速さで快走するも、リタイアに終わる伝説を残した,GT-Rで4勝を挙げている。フェアレディ240Zで日本グランプリを二連覇し、鈴鹿1000kmでは高橋国光と優勝。1980年代のマイナーツーリングでは通算21勝をはたし、JSSでは通算16勝を挙げ、4度のシリーズチャンピオンに輝いた。1990年代のN1耐久では4勝を挙げ、1994年に念願のシリーズチャンピオンを獲得。そんな都平の名言のひとつが「コーナーは真っ直ぐ走る ブレーキは踏まない」
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