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'90 スパ24時間レースvol.3

〜24時間を駆け抜ける〜

今日はスパ24時間レースが開催されるそうです! それに先立ちまして、1990年 スパ24時間レースに参戦した都平健二さんのインタビューを掲載しています。 今回は「決勝レース・24時間を駆け抜ける」です!



私:いよいよ、トピックは決勝レースですね。 スタートドライバーは都平さんですか?  また、ライバル車種は何ですか。

都平:そうですね。僕がスタートドライバーです。ライバルはポルシェですね。ストレートは圧倒的にポルシェが速いよ。特に、オールージュの先のストレートは5速全開で、緩やかな上り坂だけれども、ポルシェに差をつけられてしまう。でもね、コーナーはGT-Rのほうが速いよ。ちなみに、予選では6800回転。決勝では7000回転と、ニスモで決められていました。

私:残り数時間でミッショントラブルでピットインした経緯を教えてください。

都平:ショイスマンがピットに入ってきました。どうやら、ミッショントラブルらしく、トランスファーからオイル漏れをして白煙を吹いていました。 その状態でドライバー交代をして、僕が乗りました。煙が凄くてフロントガラスが見えないので、窓を開けて走りました。
日置監督から無線で「とっぺいちゃん、なんとか走って。」とか言われてね。

私:レース参戦当初のR32 GT-Rはブレーキは性能が良くなかったという事ですが、24時間を完走するためにどうされましたか?

都平:沢山のブレーキシールドをサーキットに持っていきました。 貨物パレット2つ分をサーキットに持っていきました。準備万全の体制で挑みました。

私:R32GT-RのアテーサETSの実感を教えてください。

都平:GT-RにはアテーサETSが搭載されているので、雨が降ればいいなと思っていました。雨が降ればGT-Rは速いから!スパは雨が降ると聞いていたのに、90年のスパ24Hでは雨が降らなくて残念だったよ。雨が降ればもっと、速く走れたのになぁ。

私:最後は3台のGT-Rが並んでゴールしましたよね。

都平:そうだね。1位はヤンスピードのGT-R。2位は福山さん、服部さんが乗るゼクセルスカイライン55号車。そして、僕と木下くんの56号車は3位。そういう結果です👌でも楽しかったね。

スカイラインGT-Rの1-2-3フィニッシュ。
3台が並んでゴールする時に、
55号車を追い越した、都平健二。
マシントラブルで後退した事が悔しくて、
最後の最後まで、全開で走ったそうです。
都平さんらしい、走り方ですね。

私:他にベルギーで思い出に残ることを教えてください。

都平:サーキットのホットドッグがうまい!   昼食に食べたら美味しくて、夕食もホットドッグを食べました。  最高!今でも思い出す味だね。

私:最後に24時間レースの感想を教えてください。

都平:24時間はやっぱり長かった。
国内で、十勝24時間も走りましたが、
十勝とは違った過酷さを感じました。
いい思い出だね☺️


都平さんのインタビューを3回に分けて掲載しました。 最後まで、ご覧いただきありがとうございました。
下記のYouTubeでは今回のインタビューの様子がご覧いただけます。

都平健二の遍歴

茨城県水戸市出身のレーシングドライバー。『城北ライダース』に所属。その後、大森ワークスと契約し、1969年には、R382で日本グランプリを出走。1970年代はスカイライン2000 GT-R・フェアレディ240Zで参戦。ハコスカ50勝目を記録した富士300kmスピードレースでは豪雨の中で驚異的な速さで快走するも、リタイアに終わる伝説を残した,GT-Rで4勝を挙げている。フェアレディ240Zで日本グランプリを二連覇し、鈴鹿1000kmでは高橋国光と優勝。1980年代のマイナーツーリングでは通算21勝をはたし、JSSでは通算16勝を挙げ、4度のシリーズチャンピオンに輝いた。1990年代のN1耐久では4勝を挙げ、1994年に念願のシリーズチャンピオンを獲得。そんな都平の名言のひとつが「コーナーは真っ直ぐ走る ブレーキは踏まない」
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