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とっぺいちゃんN1耐久 参戦①

〜ヂーゼル機器スカイライン〜

   R32デビューの1990年。ニスモチームからN1耐久に参戦したのは都平健二 / 木下隆之 組。ヂーゼル機器スカイラインによる、GT-R、初のN1耐久エントリーです!実は、R32GT-Rのデビュー2勝目のレースらしいです!「西日本サーキットでカルソニックスカイラインが1勝目を飾り、ヂーゼル機器スカイラインが2勝目を果たしました。」と、去年のR'sミーティングのトークショーで木下隆之さんがお話されていました。ヂーゼル機器スカイラインの名前で参戦したのは2戦のみで以降はZEXELスカイラインとして参戦。
これから、都平さんがN1耐久に参戦した遍歴をUPしていきます。よろしくお願いいたします。

第1回ハイランド300km耐久レース      優勝
初陣となるシリーズ1戦目は〝ノーマル〟ホイールを履いていることが特徴的。
オートテック富士ツーリングカー6時間 優勝
2戦目からはNISMOホイールを履いている。コックピットに都平健二さん、
横にいる木下隆之さん。


私:N1耐久に木下さんと参戦した時のお話を聞かせてください。

都平:デビューレースは雨の西仙台。
あれが最初のレースで、最初の思い出。西仙台の坂を走る時、油圧が下がってしまう。それをNISMOのメカニックに言っても直らなかった。
どうすれば油圧が下がらないかと考えたが直らない...〔つづく〕


都平健二オフィシャルサイトはこちらから


茨城県水戸市出身のレーシングドライバー。モトクロスの名門『城北ライダース』に所属。その後、日産自動車(大森ワークス)とドライバー契約し、ブルーバードSSで四輪デビューしたのが1965年。飛躍的な成長をみせ、4年後の1969年には、6LのビックマシンR382で日本グランプリを出走。高橋国光と組み日産のエースナンバーであるNo.23を走らせた。1970年代はスカイライン2000 GT-R・フェアレディ240Zで参戦。NETスピードカップで優勝。JAFグランプリで2位。ハコスカ50勝目を記録した富士300kmスピードレースでは豪雨の中で驚異的な速さで快走するも、リタイアに終わる伝説を残した。都平はスカイライン2000 GT-Rで4勝を挙げている。フェアレディ240Zで日本グランプリを二連覇し、鈴鹿1000kmでは高橋国光と優勝。1980年代のマイナーツーリングではサニーで通算21勝をはたし、JSSではスカイライン・シルビアで通算16勝を挙げ、4度のシリーズチャンピオンに輝いた。JSPCに長谷見昌弘とスカイラインターボCで参戦。1990年代はスパ24時間でクラス3位を果たす。N1耐久(現 S耐)では4勝を挙げ、R33のデビューレースをR32で優勝。十勝24時間で優勝。1994年に念願のシリーズチャンピオンを獲得。 そんな都平の名言のひとつが「コーナーは真っ直ぐ走る ブレーキは踏まない。

Photo出展:ニスモ  
                  N1耐久プログラム