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とっぺいちゃんN1耐久 参戦②
〜ゼクセル スカイライン〜
N1耐久 3戦目 から登場したZEXELスカイライン。ヂーゼル機器スカイラインから一新したカラーリングとなり、
ドライバーは 都平健二 / 木下隆之。
私:いよいよゼクセルスカイラインの登場ですね。
都平:そうだったね。ヂーゼル機器からゼクセルに変わったんだ。R30のグループAの頃からヂーゼル機器(ゼクセル)にお世話になったんだ。
私:都平さんはヂーゼル機器の頃を含めると、DR30スカイラインからR33GT-Rまで長きに渡って活躍されましたね。
都平:DR30のグループAは沢山の人と組んだよ。 萩原光さん、藤井修二さん、神岡政夫さん、レースのたびに組むドライバーが変わった。R31になってからは木下くんと組んだね。
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私:R31スカイラインで木下さんと乗るようになったんですね。その流れでR32GT-Rも木下さんと組む事になったんですか?
都平:そう。木下くんとナイスコンビネーションだから。R32GT-Rのデビューレースは雨の西仙台。あれが最初のレースで、最初の思い出。チーム監督が日置さんで木下くんと90年の筑波ナイター9時間に出た時は脱水症状になっちゃって。腕の力がなくなって塩水を飲ませてもらった。
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私:デビューレースは見事に優勝しましたね。それでもレース初期はトラブルが多かったそうですね。
都平:西仙台サーキットの坂を走る時、油圧が下がってしまう。それをNISMOのメカニックに言っても直らなかった。メカニックがどうすれば油圧が下がらないかと考えたが改善しなかった。勝てないからニスモから独立してN1耐久に参戦することにした。俺が90年のスパ24時間で乗った車をニスモから買ってN1耐久に出るために仕上げた。
リミットチームのメカニックの木原さんと相談しながらオイルパンを直した。そうして油圧の心配はなくなったんだ。
ある日、NISMOの人が来て、「リミットチームのオイルパンを借してくれ。」って言ってきた事があったね。苦労して作ったオイルパンだったから、ニスモに貸さなかったけどね。〈つづく〉
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'91ベストドライバーズN1耐久レース 優勝
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茨城県水戸市出身のレーシングドライバー。モトクロスの名門『城北ライダース』に所属。その後、日産自動車(大森ワークス)とドライバー契約し、ブルーバードSSで四輪デビューしたのが1965年。飛躍的な成長をみせ、4年後の1969年には、6LのビックマシンR382で日本グランプリを出走。高橋国光と組み日産のエースナンバーであるNo.23を走らせた。1970年代はスカイライン2000 GT-R・フェアレディ240Zで参戦。NETスピードカップで優勝。JAFグランプリで2位。ハコスカ50勝目を記録した富士300kmスピードレースでは豪雨の中で驚異的な速さで快走するも、リタイアに終わる伝説を残した。都平はスカイライン2000 GT-Rで4勝を挙げている。フェアレディ240Zで日本グランプリを二連覇し、鈴鹿1000kmでは高橋国光と優勝。1980年代のマイナーツーリングではサニーで通算21勝をはたし、JSSではスカイライン・シルビアで通算16勝を挙げ、4度のシリーズチャンピオンに輝いた。JSPCに長谷見昌弘とスカイラインターボCで参戦。1990年代はスパ24時間でクラス3位を果たす。N1耐久(現 S耐)では4勝を挙げ、R33のデビューレースをR32で優勝。十勝24時間で優勝。1994年に念願のシリーズチャンピオンを獲得。 そんな都平の名言のひとつが「コーナーは真っ直ぐ走る ブレーキは踏まない。
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